守矢頼真
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守矢 頼真(もりや よりざね、永正2年(1505年) - 慶長2年(1597年))、は諏訪大社の神長官。守矢有実の子。初名、頼実。
物部守屋の後裔とも言われるが不明。諏訪大社大祝家の諏訪氏に従い、たびたび禰宜太夫の矢島満清と対立。特に諏訪大祝就任の際に争い、当初劣勢だったが、天文7年(1538年)の諏訪頼高の大祝就任時に復権した。また諏訪大社への課税をめぐって諏訪頼重とも対立した。天文11年(1542年)武田信玄侵攻には抗戦するが、諏訪頼重が死ぬと武田家に従い、特に戦勝祈願などで信頼を得た。永禄2年(1559年)引退し、嫡子で禰宜太夫に就けていた信真に神長官を譲った。武田家滅亡後は諏訪満隣らと諏訪家再興を図る一方、諏訪大社の復興にも力を入れた。