安祥院
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安祥院(あんしょういん、享保6年(1721年) - 寛政元年4月6日(1789年4月30日))は、江戸幕府9代将軍徳川家重の側室。清水徳川家初代当主徳川重好の生母。浪人・三浦義周の娘、松平親春の養女。名はお遊喜(ゆき)、またはお逸(いつ)、お千瀬(ちせ)。
お遊喜は浪人の娘で御次として採用され、御中臈に昇格すると、延享2年2月15日(1745年3月17日) に、家重との間に次男・重好(幼名万次郎、清水徳川家初代当主)を出産し「御内証様」と呼ばれる身分に栄進した。同じ側室のお幸とは折り合いが悪く、暴力沙汰の事件がおきたとする説もある。
宝暦11年(1761年)、家重の没後に落飾し、安祥院と号する。寛政元年(1789年)に69歳で死去。墓所は寛永寺内の普門院。