至心院
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至心院(ししんいん、? - 延享5年2月26日(1748年3月24日))は、江戸幕府9代将軍徳川家重の側室。10代将軍徳川家治の生母。中納言梅渓通条の娘。名はお幸(こう)。
元文2年5月22日(1737年6月20日)に、家重との間に長男・家治(幼名竹千代、後の10代将軍)を出産。
その後家重は別の側室・お遊喜の方と仲が良くなり、お幸は相手にされなくなっていった。そのような状況下で、お幸はある夜、家重とお遊喜の方の寝床に乗り込み、出身の家が自分より身分の低いお遊喜の方と夜を過ごす事について家重を責め立てたが、それが逆に家重の怒りを買い、座敷牢に監禁されてしまった。
その後吉宗の叱責によりお幸は座敷牢から解放されたが、間もなく延享5年(1748年)に死去。戒名は至心院殿観真円如大姉。墓所は寛永寺山内の福聚院。従一位を追贈された。
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