定恵院
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定恵院(じょうけいいん、永正16年(1519年)-天文19年6月2日(1550年7月15日))は、戦国時代の人物。武田信虎の長女。母は大井の方。武田信玄の同母姉。今川義元の正室で、今川氏真の母。
甲駿同盟のため天文6年(1537年)の6月2日に今川義元に嫁いだ。しかし、これに不快感を示した北条氏綱が駿河国に侵攻し、興津辺りまでを焼き払い、信虎が義元支援のため須走口まで出馬するという事件が起きた。天文7年(1538年)に、五郎(後の今川氏真)を生んだ。その後、娘の嶺松院・隆福院を生んだ。天文19年の6月2日、甲斐を追放された実父に見守られ死去した。享年32。
彼女の死により、甲駿同盟が危機に陥ったため、天文21年(1552年)の11月に、甥・武田義信の元に娘・嶺松院が嫁いだ。いとこ同士の結婚である。この他、北条氏康の娘の早川殿が氏真に嫁ぎ、武田信玄の娘の黄梅院が北条氏政の元に嫁ぐことにより、後の甲相駿三国同盟へと繋がっていった。