嶺松院
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嶺松院(れいしょういん、生年不詳 - 慶長17年8月19日(1612年9月14日))は、今川義元と定恵院の娘、武田義信の正室。
今川義元と正室の定恵院の娘として生まれた。
天文21年(1552年)の11月27日に、武田義信と結婚。永禄10年(1567年)の10月19日に、夫の義信が幽閉先の東光寺で自害。同じ年の11月に嶺松院は駿河に戻された。永禄11年(1568年)の11月に 武田信玄が駿河を侵攻した事で、三国同盟は完全に破綻した。この余波として、信玄の駿河侵攻に怒った北条氏康により、義信の妹の黄梅院も強制的に離縁され、甲斐に戻される事になった。
嶺松院は駿河に戻った後、出家し、慶長17年(1612年)8月19日に死去した。法号は嶺松院栄乗貞春。義信との間に一女あり。