宝塚球場
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宝塚球場 | |
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施設統計 | |
所在地 | 兵庫県宝塚市 |
開場 | 1922年 |
所有者 | |
グラウンド | |
照明 | なし |
設計者 | |
使用チーム、大会 | |
宝塚運動協会(1924年~1929年) 大阪阪急協会(1936年) |
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収容能力 | |
-人 | |
規模 | |
両翼 - 91 m 中堅 - 98 m |
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フェンスの高さ | |
宝塚球場(たからづかきゅうじょう)は、かつて兵庫県宝塚市にあった野球場。
[編集] 歴史
阪急電鉄(現・阪急阪神ホールディングス)は宝塚線の全線開業後、宝塚市を観光地として整備しようと宝塚新温泉、遊園地、動植物園を設置、また阪急直属の少女歌劇団(宝塚歌劇団の母体)を結成した。更に1922年6月、この近接地に野球場、テニス場、陸上競技場を併設したスポーツセンターをオープンさせた。
2年後の1924年、日本運動協会(芝浦協会)が関東大震災の影響で運営が困難になり解散したのを受けて、その選手の受け皿として宝塚運動協会を結成。この球場を舞台に活動を行った。しかしノンプロ組織(社会人野球)との対戦もこなしたりしたが当時は職業野球の文化が不充分でわずか5年後の1929年に解散してしまった。
それから更に7年後の1936年には後のオリックス・バファローズ(元阪急・オリックスブレーブス→オリックスブルーウェーブ)の母体となる、大阪阪急野球協会のフランチャイズスタジアムとして利用され、職業野球公式戦を開催したが、1937年に完成した西宮球場にその座を明け渡し、宝塚球場も解体された。跡地は宝塚映画製作所の撮影所になったが、戦後は宝塚ファミリーランドとして整備された。
コンピュータゲームのファミスタシリーズでは、1989年12月発売の「ファミスタ'90」に架空の球場として、『たからづか球場』(西宮球場がモチーフになっているもので、全く関係ない)が登場した事がある。
[編集] 施設概要
[編集] 関連項目
前本拠地: n/a - |
阪急軍の本拠地 1936 - (1シーズン限り) |
次本拠地: 西宮球場 1937 - 1990 |
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