小倉豊楽園球場
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小倉市豊楽園球場(こくらし・ほうらくえんきゅうじょう)は、かつて福岡県小倉市(現北九州市小倉北区)にあった野球場。
[編集] 歴史
1948年小倉市浅野町(現・北九州市小倉北区浅野)に建設されたこの球場は、小倉市で初めてのプロ野球公式戦に対応できる硬式野球場として開設された。以前からこの浅野地区は工場などの立地がなく過疎の状態が続いていたが、第二次世界大戦(太平洋戦争)終戦後はそれらの開発が進み、野球場もその一環として建設されたものと考えられている。当初は両翼が非常に広かったためホームランが出にくい球場といわれたが、その後両翼を狭めてホームランの出やすい球場にしたことがあった。
2リーグ分立直後は西日本パイレーツや西鉄クリッパース(→ライオンズ)、また西日本と西鉄の合併後は大洋ホエールズの公式戦も数試合開催され、かつては門司市営球場や大谷球場などで分散して開催されていた試合も豊楽園で開催されるようになった。
しかし小倉駅の移転に伴う再開発計画のため、1957年10月20日の西鉄ライオンズと大映ユニオンズのダブルヘッダーを最後に閉鎖。その後1958年に小倉市営球場(後に北九州市営小倉球場→北九州市民球場)が完成し、西鉄ライオンズの準本拠地として公式戦を開催するようになっていった。