小金井良精
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小金井良精(こがねい よしきよ、男性、1859年1月17日(安政5年12月14日) - 1944年(昭和19年)10月16日)は、明治から昭和にかけて活躍した解剖学者・人類学者。
[編集] 生涯
越後長岡藩士の子として生まれる。1880年に東京大学医学部(の前身)を卒業するとドイツへ留学、解剖学と組織学を学ぶ。1885年に帰国、翌年東京帝国大学医学部教授となり、日本人では初めて解剖学の講義を行った。
1888年とその翌年の夏、北海道でアイヌの骨格を調査して以来、人類学を専攻。アイヌ研究に基づいて、日本石器時代人はアイヌであるとし、坪井正五郎の唱えたコロボックル説を激しく批判した(コロボックル論争)。1893年から1896年には帝国大学医科大学学長をつとめた。また、1893年に日本解剖学会を創設した。
1921年に定年を迎え、教授職を退いたが、精力的に研究活動を続けた。
夫人の小金井喜美子は森鴎外の妹にして随筆家・歌人。 SF作家の星新一は孫、その父で星製薬を設立した星一は娘婿に当たる。
[編集] 参考
- 「祖父・小金井良精の記」 星新一(1974年)