山口シヅエ
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山口 シヅエ(やまぐち しづえ、1917年10月31日 - )は、昭和期の日本の政治家。元日本社会党及び自由民主党衆議院議員。明るく華やぎのある雰囲気から下町の太陽と呼ばれた。本名静江。
[編集] 来歴・人物
東京都中央区日本橋小伝馬町に、「山口自転車」を経営していた山口重彦(後に参議院議員)の長女として生まれる。1935年、東京府立第7高等女学校(現・東京都立小松川高等学校)を卒業後、山口自転車に勤務。従業員への食事を手配する「炊事部長」を務めていた。
弟を戦争で亡くしたことで、「戦争反対を訴えたい」と国政選挙立候補を決意。賀川豊彦の後押しも得て、1946年の第22回衆議院議員総選挙に日本社会党から出馬し当選。日本初の女性代議士の一人となる。売春防止法制定に尽力するなどしたが、1967年の総選挙で党内派閥抗争のもつれから選挙違反を告発される。結局不起訴となったが、党に不信感を抱き同年5月に社会党を離党。無所属を経て、同年9月に自由民主党に入党して話題を呼んだ。
自民党では福田赳夫派に所属し、経済企画政務次官などを務めた。自民党に移ってからは当選・落選を繰り返し、1980年、1983年の総選挙に続けて落選し政界を引退。通算当選13回。1980年には女性として世界で初めての国連平和賞を受賞、1987年には勲一等瑞宝章を受章。