岡山寺
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金光山岡山寺(こんこうざんおかやまじ)は、岡山県岡山市にある阿弥陀如来・千手観音・釈迦如来を本尊とする天台宗の寺院。中世以前は現在の岡山市内山下・岡山城二の郭にあった。
[編集] 起源と歴史
表の由来では、「備陽記」によると、天平勝宝元年(749年)報恩大師が勅命を奉じて四十八寺を開いたとき第二番に創立された。その後は寂れたが、天暦年間には信源上人により七堂伽藍を再興した。本堂は7間四方の広さで千手千体を本尊として安置。常行堂は5間四方の広さで普賢菩薩を安置。鎮守は山王廿一社と護法天等を祀っていると伝えている。
裏の由来では、同じ「備陽記」の岡山寺観世音由来記によると、天平勝宝の昔、から川(岡山市辛川か?)という所に金光某という殺生を好む武士が住み、岡山返に出て鹿の通路を探っている間に、偶然地中から千手観音を掘り出し、にわかに発心して観音堂を建てたのに起因するとされる。金光某は金光氏の祖先に当たるかどうかは定かではない。
天文年間からは金光備前・金光宗高父子が保護していたとされ、特に宗高は比叡山から高僧を招くほどであり、死後は「友讃」の法名で葬られている。
天正元年(1573年)に宇喜多直家が金光氏の居城であった石山城(岡山城)に入城して城郭を修築するにあたり寺を城の西に移し、天正18年(1590年)には宇喜多秀家により山崎町へ、さらに慶長6年(1601年)には小早川秀秋により磨屋町に移された。
かつては、入母屋造の本堂のほか如来堂、三王堂、客殿、庫裡などがあったが、昭和20年(1945年)6月29日の岡山空襲のとき全焼し、残ったのは本尊ほか僅かばかりのものだけである。したがって、現在の堂宇は戦後のものである。また、敷地も都市計画によって狭められており往時の栄華を窺い知る事はできない。
[編集] 所在地
岡山県岡山市磨屋町5-5
[編集] 交通アクセス
- 岡山電気軌道東山本線柳川駅から徒歩1分