岡田史子
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
![]() |
ウィキポータル |
日本の漫画作品 |
日本の漫画家 |
漫画原作者 |
漫画雑誌 |
カテゴリ |
漫画作品 |
漫画 - 漫画家 |
プロジェクト |
漫画作品 - 漫画家 |
岡田史子(おかだ ふみこ、1949年7月23日 - 2005年4月3日)は、北海道静内町(現・新ひだか町)出身の漫画家。
目次 |
[編集] 経歴
1967年、手塚治虫主宰の月刊漫画雑誌「COM」2月号で商業誌デビュー。デビュー作品は『太陽と骸骨のような少年』(ボードレール“悪の華”を引用したもの)。
1960年代後半、手塚治虫主宰の「COM」で活躍した。1990年以降は漫画家としての活動はしていない。その抽象的・難解ながら詩的で繊細な漫画は読む者を強く惹きつけた。幼い頃に母を亡くしており、意味の意味について苦悩した絶望感溢れる作品を書き、未だに根強いファンは多い。一作描くと同じ絵柄に飽きてしまうらしく、一作ごとに絵柄が異なる。ある日ふいに筆を折って地元の北海道に帰り結婚。その後一切漫画家としての活動はしていなかったが、彼女の熱狂的なファンである萩尾望都の熱望により再度筆を取る。しかし、「もうあの頃のような作品は描けない」と自ら再び作家活動を断念、その後再び筆を取ることはなく、2005年に永眠。
読者のみならず、手塚治虫、萩尾望都、吉本隆明など、漫画家、評論家からも熱く支持された。
単行本は入手困難となっている。
[編集] 年譜
- 1966年、『奇人クラブ』
- 1967年1月(高校2年時)、月刊漫画雑誌「COM」2月号で商業誌デビュー。
- 1968年、『ガラス玉』で、「COM」新人賞を受賞。
- 1972年頃、静内に戻り、漫画家としての活動を中断。
- 1976年作品集『ガラス玉』刊行。
- 1978年「少女コミック増刊」に『ダンス・パーティ』を発表し、漫画雑誌に復帰。
- 1990年に発表した『エリム』を最後に筆を折る。
- 2005年4月3日、永眠。享年55。
[編集] 単行本
- 「ガラス玉」 朝日ソノラマ 1976年
- 「ほんのすこしの水」朝日ソノラマ 1978年
- 「ダンス・パーティー」朝日ソノラマ 1979年
- 「岡田史子作品集」全2巻 NTT出版 1992年
- 「岡田史子未発表作品集」限定200部 まんだらけ 1999年
- 「オデッセイ1966~2003―岡田史子作品集 (Episode1)」 飛鳥新社 ; ISBN: 4870315602 ; 2003年
[編集] 作品リスト
- ピグマリオン
- ガラス玉
[編集] 外部リンク
- 硝子玉
- 岡田史子単行本未収録リスト
- Berlin Bau http://home.att.ne.jp/apple/berlin/baustelle/BOOK/buch_okadafumiko.html
- 漫画時代 http://www.interq.or.jp/orange/flow/manji/review/okada/okada.html
- タマまんが図書館 http://www2u.biglobe.ne.jp/~pami/book02.html
- http://media.excite.co.jp/book/special/okada/
- 漫画雑記帖 http://homepage2.nifty.com/yusuraume/okadafumiko.html
[編集] 参考図書
- 『消えた漫画家3 大泉実成』 岡田史子のロングインタビューが収録(文庫版には非収録)