岡田繁幸
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
岡田繁幸(おかだしげゆき、1950年3月19日 - )は、クラブ法人株式会社サラブレッドクラブラフィアン前代表取締役社長、有限会社ビッグレッドファーム社長。北海道静内町(現・新ひだか町)出身。
日本大学獣医学部中退後、アメリカへ渡り現地の牧場で馬産の修行を積んだ。 国内有数の相馬眼の持ち主として知られ、とくに血統的に一流とはいえない仔馬の中から、素質馬を発掘する能力に長ける。
自身が設立したラフィアンターフマンクラブ(サラブレッドクラブラフィアン)は一口馬主のシステムで競走馬を所有しており、それらの馬には牡馬には「マイネル」、牝馬には「マイネ」の冠名がつけられる。そのため彼はしばしば「マイネル軍団の総帥」と呼ばれる。マイネル軍団は、彼の相馬眼により発掘された馬をビッグレッドファームにおけるハードトレーニングで鍛え上げ、特に2歳戦での強さが有名である。
ちなみに「ラフィアン」はアメリカの伝説的名牝の名であり、クレイボーンファームという牧場での修行中、仔馬時代のラフィアンの才能をいち早く見抜いたというエピソードからその名を会社名に使用している。なお、2006年3月にサラブレッドクラブラフィアンの代表を退き、長男の岡田紘和が代表に就任した。これに伴い、繁幸は個人としての馬主資格を再取得。ホッカイドウ競馬所属のインパーフェクトなどを所有し、コスモバルクで果たせなかったクラシック制覇を目指している。
妻の岡田美佐子はラフィアンターフマンクラブの社長を務めており、以前は「コスモ」の冠名で知られる個人馬主として登録されていた(当初、繁幸がクラブ法人の代表を務めており、個人馬主になれなかった為の措置)。2006年に、馬主名義は有限会社ビッグレッドファーム(代表:岡田美佐子)へと法人化された。
以前より、東京優駿制覇が最大目標と公言している。1986年に自身の所有馬グランパズドリームが東京優駿において2着して以後、毎年のようにビッグレッドファーム関係の馬が出走するが、現在まで制覇するに至っていない。2004年にはコスモバルク・コスモサンビーム・マイネルデュプレ・マイネルマクロス・マイネルブルックと5頭もビッグレッドファームの関係馬を出走させたが、コスモバルクの8着が最高着順で、コスモサンビーム12着、マイネルデュプレ13着、マイネルマクロス16着、マイネルブルック競走中止となり、マイネルブルックは予後不良、コスモサンビーム、マイネルデュプレは骨折、マイネルマクロスは屈腱炎でそのまま引退と惨憺たる結果となった。