予後不良
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予後不良(よごふりょう)とは競馬用語の一つ。主に競走馬が競走中や調教中などに何らかの原因で主に脚部に故障を発生した際、回復が極めて困難で、薬物を用いた安楽死の処置が適当であると診断された状態の婉曲的表現。転じて競走馬への安楽死処置そのものを指す場合も多い。特に競走中の骨折等を原因として予後不良に到る場合は「パンク(する)」と表現されてきた(1990年代ごろからは使用頻度は少なくなってきており、スラング的に「予後る(よごる)」などと表現することもある)。
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[編集] 前提
競走馬の多くを占めるサラブレッドの足首(一般にくるぶしと呼ばれている)は「まるでガラス」と形容されるほど脆いため、骨折、ヒビなどの故障が発生しやすい。品種によって馬の体重は異なるが、軽種馬であるサラブレッドの場合でも400kg~600kg程度となり、立っている状態でも足1本あたり100kg以上の負荷が掛かることになる。加えて馬は長時間横になるとその体重の重さにより皮膚炎(床ずれ)を起こすため、健康な馬は立って睡眠する。
[編集] 下肢部の病気
下肢部に骨折やヒビなどの故障が発生した馬は、その自重を他の健全肢で支えなければならないため、過大な負荷から健全肢にも負重性蹄葉炎(ていようえん)や蹄叉腐爛(ていしゃふらん、ていさふらん)といった病気を発症する。そのため、病状が悪化すると最終的には自力で立つことができなくなり、衰弱死、もしくは痛みによるショック死へと至る。
[編集] 対策
下肢部の負荷を和らげるため、胴体をベルトで吊り上げたり、水中による浮力を利用するためプール等を用いて治療する。しかし、必要な治療費が莫大な金額になり、またこのコストに対して生存率も高くないなどリスクも大きく、また過去に馬への投薬治療の副作用などで繁殖能力へ悪影響が出たケースも少なくないことから、その対象となる競走馬は重賞レース等で際立って優れた戦績を残し、繁殖馬として期待されるものがほとんどで、大多数の競走馬は予後不良と診断された直後に安楽死処分される。
[編集] その後
荼毘(だび)に付されたのち、馬頭観音に供養される。かつては殺処分された馬を馬肉に転用(代表例・ハマノパレード)することもあったが、現在では予後不良の場合はほぼ全て薬殺処分を行っているため、市場に流通することはない。
[編集] その他
1978年1月、テンポイントが競走中に骨折し予後不良と診断された際、ファンの声援や馬主の親心、テレビや新聞報道による世間からの反響もあり、安楽死の処分を採らずに手術を施したのち1か月半あまりの闘病生活を送ったが、最終的には蹄葉炎を発症、500kg近くあった馬体重が200kg台まで減少して衰弱死した(しかし、このテンポイントの闘病生活は、その後の競走馬のみならず、単蹄目全般に関する医療水準の向上に大いに貢献している)。またサクラスターオーも左前脚に重度の骨折を発症し、同様に闘病生活を送ったが、立ち上がろうとして右前脚を脱臼してしまい立てなくなってしまった為に関係者が安楽死処分の判断を下した。
これらの例とは逆に、重度の故障から回復した馬にはビンゴガルー、ヤマニングローバル、サクラローレル、ミルリーフ、ヌレイエフ、トウカイテイオーなどがいる。
2006年にはこの年のケンタッキーダービー馬バーバロがプリークネスステークスで重度の粉砕骨折を発症、かつて行われた事が無いといわれる大がかりな手術を行い命をとりとめたものの、闘病生活の末、翌2007年1月に蹄葉炎を発症して安楽死の措置が取られた。
海外でのレースへの出走や、輸出入などで競走馬を空輸する場合、輸送中に暴れることは少ないが、万一空輸中に暴れ、馬及び航空機にとって危険な状態と判断された場合は予後不良と同じ措置が採られる。かつてハクチカラが米国遠征を敢行した際、輸送に使用されたチャーター機の機長には拳銃の所持が許可され、万一馬が暴れて手に負えなくなった場合には、機長の権限として馬を射殺してもよいとされ、関係者もこれに同意して航空機に搭乗させた事は有名である。
予後不良の診断が、後に変更されるケースも稀にある。2006年第2回中山競馬7日目(3月18日)9レース隅田川特別で右前浅屈腱断裂を発症して競走を中止したロードスフィーダは最初予後不良と診断されたが、後日診断内容が競走能力喪失に変更になった。
[編集] 競走中の事故が原因で予後不良となった競走馬
ここでは日本のGI(級)競走優勝馬について述べる。 なお、括弧内はその競走馬の主な勝鞍である。
- ナスノコトブキ(1966年菊花賞) - 1967年天皇賞(春)で故障(左第三中足骨骨折等)
- キーストン(1965年東京優駿) - 1967年阪神大賞典で故障(左第一指関節完全脱臼)、安楽死
- ハマノパレード(1973年宝塚記念) - 1973年高松宮杯で故障(左前種子骨粉砕骨折等)
- キシュウローレル(1972年阪神3歳ステークス) - 1974年京都牝馬特別で故障(左第一指関節イ開脱臼)、安楽死
- テンポイント(1975年阪神3歳ステークス、1977年天皇賞(春)、有馬記念) - 1978年日経新春杯で故障
- キングスポイント(1982年中山大障害(春)、中山大障害(秋)) - 1984年中山大障害(春)で故障(右足根骨粉砕骨折)、安楽死
- シャダイソフィア(1983年桜花賞) - 1985年スワンステークスで故障(左第一指関節開放脱臼)、安楽死
- ノアノハコブネ(1985年優駿牝馬) - 1985年阪神大賞典で故障(寛骨骨折)、安楽死
- サクラスターオー(1987年皐月賞、菊花賞) - 1987年有馬記念で故障
- ライスシャワー(1992年菊花賞、1993年、1995年天皇賞(春)) - 1995年宝塚記念で故障(左第一指関節開放脱臼)、安楽死
- ワンダーパヒューム(1995年桜花賞) - 1996年京都牝馬特別で故障(左第一指関節脱臼等)、安楽死
- ホクトベガ(1993年エリザベス女王杯ほか) - 1997年ドバイワールドカップで故障(左前脚骨折)、安楽死
- サイレンススズカ(1998年宝塚記念) - 1998年天皇賞(秋)で故障(左手根骨骨折)、安楽死
- シンボリインディ(1999年NHKマイルカップ) - 2001年ダービー卿チャレンジトロフィーで発走前に故障、安楽死
- コスモサンビーム(2003年朝日杯フューチュリティステークス) - 2006年阪急杯で故障、斃死
ナスノコトブキ、テンポイント、サクラスターオーの3頭は予後不良の診断が下ったが、馬主サイドの意向により懸命な治療が行われた(サクラスターオーの同期・マティリアルも同例に入る)。しかし、ナスノコトブキとテンポイントは療養中に衰弱死、サクラスターオーは別の箇所を骨折し、安楽死の措置がとられている。また、コスモサンビームはレース中に心臓麻痺を起こして斃死(同例として、1961年天皇賞(秋)で同様の症状で急死したサチカゼがいる)したため、厳密に言えば予後不良ではない。シンボリインディの場合はゲート入り後にゲートの下を潜り抜けてしまって故障を発生したという稀なケースである。
GI(級)馬のレース中での予後不良で、その場で安楽死させる措置はハマノパレードでの一件(ハマノパレードの故障後の実態は人道的見地から見て許されざることだった。詳細は同馬の項を参照されたい)から原則として行われるようになった。
[編集] 関連書籍
- 「サラブレッド 101頭の死に方」 著者:大川慶次郎、他。ISBN 4198911851、(1999年)、徳間書店(復刊)
- 「サラブレッド 101頭の死に方(2)」 著者:大川慶次郎、他。ISBN 4893668757 、(1997年)、 アスペクト