岩手21赤べこ野球軍団
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チーム名 | 岩手21赤べこ野球軍団 |
加盟団体 | 日本野球連盟 (社会人野球) |
創設年度 | 2005年 |
チーム名の遍歴 | カウボーイズ岩手21(2005) →岩手21赤べこ野球軍団(2006-) |
本拠地 | |
収容人員 | |
オーナー | |
親会社 | |
監督 | 羽生田忠克 |
タイトル | 都市対抗:0回、日本選手権:0回、クラブ選手権:0回 |
(優勝年度) | 都市対抗、日本選手権、クラブ選手権ともまだなし |
岩手21赤べこ野球軍団(いわて-あかべこやきゅうぐんだん)は、岩手県紫波郡矢巾町に本拠地を置き、日本野球連盟に所属するクラブチームである。
もともとは2004年10月に、四国アイランドリーグに倣った形で東北アカデミーリーグ構想が持ち上がり、それに岩手県側から参加しようとしたのが嚆矢。チームメンバーのセレクションも行い、チーム名も「カウボーイズ岩手21」に決定していたが、本来主体となってリーグの設立を行うべき宮城県側の準備の遅れから同構想からの離脱を宣言、日本野球連盟にクラブチームとして登録することとし、チーム名も一新、岩手の郷土玩具である赤べこ人形にちなんだ「赤べこ野球軍団」となった。
初代監督には元阪神の木立章成が就任し、連盟加盟の初年度からクラブチーム激戦区の岩手県で都市対抗野球の県1次予選を圧倒的な強さで突破、また全日本クラブ野球選手権大会本大会への出場を決めた。都市対抗野球東北2次予選でも本大会で優勝したTDKに2-1で競り勝ち第1代表決定戦に駒を進めたが、そこから2連敗し、「加盟初年度の都市対抗野球本大会初出場」の偉業は達成できなかった(しかし、その強さは東北の他の企業チームをも震撼させた。その後エースの関連太郎と4番の高倉啓司はTDKの補強選手として都市対抗野球に出場、優勝を経験している)。
同年8月21日には、社会人野球岩手県予選決勝の水沢駒形野球倶楽部戦で県内大会での初めての敗戦(0-1)を喫した。
2007年3月27日に、総監督に俳優の宇梶剛士、監督に元西武の羽生田忠克が就任すると発表した。
目次 |
[編集] 設立・沿革
- 2004年11月 東北アカデミーリーグ構想に参加を表明する形でチーム作りを発表。
- 2005年 セレクションを行い、2ランクのチーム分けを行う。また、チーム名も「カウボーイズ岩手21」に決定。
- 2006年3月 宮城県側の対応の遅れを不満とし、東北アカデミーリーグからの離脱を宣言、日本野球連盟に加盟。
- 2006年6月 クラブ選手権東北2次予選を勝ち抜き、同大会への初出場を決める。
[編集] 主要大会の出場歴、最高成績
- クラブ選手権 出場1回