峠三吉
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峠 三吉(とうげ さんきち。1917年(大正6年)2月9日 - 1953年(昭和28年)3月10日)は、詩人。本名は、三吉(みつよし)。日本共産党員であった。
[編集] 生涯
父・嘉一はタイル製造などを手がける実業家で、三吉は父の勤務地大阪府豊能郡(現在の豊中市)に生まれ、生後まもなく家族とともに父の故郷広島市に転居した。幼い頃から気管支の病気に苦しめられしばしば喀血、広島商業学校(現在の広島県立広島商業高校)在学時から詩作にいそしんだが、卒業後は長期の療養生活を余儀なくされ、この病気は三吉を生涯苦しめることとなった。
さらに1945年8月6日、爆心地より3kmの広島市翠町(現在の南区翠町)で被爆。
敗戦後は広島を拠点とする地域文化運動で中心的な役割を果たし、広島青年文化連盟委員長に就任した。広島県庁での勤務や雑誌『ひろしま』編集のかたわら、1951年には「にんげんをかえせ」で始まる『原爆詩集』を自費出版、原爆被害を告発しその体験を広めた。
1952年、新日本文学会全国大会出席のため上京の途上で大喀血し入院することになり、持病(気管支拡張症)の本格的治療を決意して、被爆から8年後の翌1953年、手術を受けたがその際中に病状が悪化、14時間の苦闘のすえ手術台上で死没した。享年36。
死後10年経った1963年、広島市平和公園内に「にんげんをかえせ」の詩碑が建立された。
[編集] 関連項目
- 原民喜
- 大田洋子
- 加藤卓男
- 平山郁夫
- 栗原貞子
- 広島市への原子爆弾投下