島津吉貴
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
島津 吉貴(しまづ よしたか、1675年11月4日(延宝3年9月17日) - 1747年11月12日(延享4年10月10日))は、島津氏第21代当主。薩摩藩の第4代藩主。第3代藩主・島津綱貴の長男。母は二階堂宣行の娘。正室は松平定重の娘・福姫。子に継豊、満君(近衛家久室)ら。官位は正四位下、薩摩守、左近衛中将。
延宝3年(1675年)9月、島津綱貴の長男として生まれた。宝永元年(1704年)、父の死により家督を継ぐ。宝永7年(1710年)、第6代将軍・徳川家宣に対して琉球慶賀使を聘礼させた。享保6年(1721年)、長男の島津継豊に家督を譲って隠居する。延享4年(1747年)10月、73歳で没した。
吉貴はそれまであった加治木家、垂水家に加え自分の息子達に越前家、今和泉家と言う分家を作らせ、この4分家のみが本家に後継者がいない場合に藩主を出せる家系とした。江戸幕府の御三家や他藩の支藩にも似た体制だが、他藩ではこのような有力分家は「支藩」にするのに対し、薩摩藩では1私領主の扱いで対外的には家臣と変わらなかったのは大きな特徴である。
|
|
|