平国妙
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平国妙(たいらのくにたえ・生没年不祥)は、平安時代の出羽国の武将。散位大夫。
武勇の誉れ高く、常勝の武将として「平不負」と俗称した。天喜5年(1057年)、黄海合戦に於いて源頼義軍に属し先陣を担っていたが乗馬が流れ矢で倒された為、安倍軍の捕虜となった。本来処刑される所であったが、安倍方の将藤原経清が、国妙の外甥であった為に助命嘆願し死を免れた。陸奥話記には、「武士猶ホ以テ恥トナス」とある。
なお、寛治7年(1093年)、平師妙・師季親子が出羽守源信明の館を攻め、翌嘉保元年(1094年)、陸奥守源義綱の郎党により鎮圧されたが、『中右記』によると、前年の寛治6年(1092年)6月には陸奥守藤原基家の解文により、経清の子藤原清衡に合戦の企ての嫌疑がかけられていることから、両者を関連づけ、この師妙親子を清衡の大伯叔父である国妙の子及び孫ではないかとする見解がある。
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