平高棟
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平 高棟(たいら の たかむね・高棟王(たかむねおう)、延暦23年(804年) - 貞観9年(867年))は平安時代前期の賜姓皇族。
[編集] 経歴
桓武平氏高棟流の祖。祖父は桓武天皇、父は葛原親王、妻は藤原長良の女、藤原有子、子に 平実範、平正範、平惟範、平季長がいる。非実在説もある高見王は弟。
825年(天長2年)7月6日に伯父に当たる淳和天皇から平姓を賜り、平高棟と名乗る。 これが桓武平氏の起こりで、子孫は代々中流貴族として栄えた。「平氏にあらずば人にあらず」 と放言したと言われる平時忠は惟範の系統で10代目の子孫にあたり、源平合戦後も 時国家として存続した。また17代目の子孫にあたる西洞院行時は堂上家である西洞院家を興したが、 戦国時代に中絶し、藤原北家西園寺流である河鰭家から養子が入って存続した。
[編集] 官職位階履歴
- 弘仁14年(823年):従四位下、次いで侍従
- 天長元年(824年):大学頭
- 天長3年(826年):中務大輔
- 天長5年(828年):大舎人頭
- 天長7年(830年):従四位上、次いで大蔵卿
- 天長8年(831年):刑部卿
- 承和10年(843年):正四位下
- 承和11年(844年):従三位
- 仁寿元年(851年):参議
- 斉衡元年(854年):春宮大夫
- 天安2年(858年):権中納言、次いで正三位
- 貞観元年(859年):按察使
- 貞観2年(860年):中納言
- 貞観6年(864年):大納言
カテゴリ: 平安・鎌倉時代の皇族 | 平氏 | 804年生 | 867年没