庚申街道
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庚申街道(こうしんかいどう)は大阪の旧街道の一つ。大阪市天王寺区の四天王寺南大門前を起点として南へ庚申堂前を過ぎ、平野区長吉川辺町で古市街道と合流していた。青面金剛童子を祭る四天王寺庚申堂は、日本の庚申信仰発祥の地といわれている。熊野街道とともに上町台地を走る旧街道。
1898年ごろ、庚申堂参りの道として知られる同街道は葛井寺道などさまざまな異名があったが、次第に庚申街道の名前が定着した(出典:明治36年刊「大阪府誌」)。
1977年、大阪都市計画事業近鉄南大阪線連続立体交差事業により、新しく都市計画線阿倍野松崎線が設けられ、踏み切り線が廃止となり、庚申街道は近鉄南大阪線大阪阿部野橋駅東口地下コンコースを通る形で南北を結ぶこととなった。現在、地下部分をエスカレーター付きの地下道で大阪阿部野橋駅庚申口から同駅松崎口に出るように残るユニークな古街道。街道沿いは常盤文教地区として小中学校や専門学校などが多く見られ、普段から人通りは多い。
なお、今日では街道のルート南部の阿倍野区桃ヶ池を境に、南部分は区画整理事業、道路拡幅などもあって、現在ではそのルートをたどることは難しい。1988年、近鉄南大阪線の立体交差事業を記念して近鉄と地元「庚申街道を守る会」により近鉄大阪阿部野橋駅東の庚申口にあるサンクンガーデンに街道の歴碑が残されている。
ちなみに四天王寺庚申堂は、京都八坂、東京浅草と並ぶ日本三庚申堂の一つ。西暦700年ごろ、豪範僧都により建立され、その後、豊臣秀頼によって再建されたことが記録に残っている。最近では1945年、空襲によって焼失し、現存する庚申堂宝輪閣は1970年の大阪万博の際に日本仏教会から寄進されたもの。現在でも、新年最初の庚申(かのえ さる)の日、「初庚申」の縁日は多くの参詣者で賑わっている。