弁慶高校
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弁慶高校(べんけいこうこう)は、野球漫画「ドカベン」に登場する、架空の高等学校。主人公山田太郎らのいる明訓高校野球部を破った唯一の高校。
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[編集] 野球部員
- 武蔵坊数馬
- 4番ライト。野球部の中心人物で、左投左打。ライトオーバーのあたりを放った俊足打者を、二塁で刺殺し、やはり俊足の三塁走者にライト最深部へのフライでもタッチアップを許さない強肩の持ち主。外野の守備位置から打者の意図を見抜くほどの洞察力の持ち主でもあって、ドカベン・山田も彼のためにライトゴロを記録している。
- 打者としては、甲子園の2試合で7打数3安打2本塁打3打点。土佐丸高校の怪投手・犬神を相手に2打席をあえて捨石にして3打席目で決勝のソロ・ホームランを放つなど、得体の知れないスケールの持ち主として描かれた。
- その左腕に一種超自然的な能力を有し、岩鬼の母親が心臓発作による危篤の状態だったのが、左腕による能力で意識が回復し完治させた。土佐丸高校戦ではスタンド入りするかに見えた犬飼武蔵の放ったホームラン性の打球をグラウンドに引き戻して捕球している。ただし、明訓戦での山田の2ホーマーは、甲子園場外まで飛んだ飛距離のためにか、なすすべなく見送っている。
- 母親を救われた恩があって、岩鬼は心の師と仰いでいた。その岩鬼を『戦う男』の要注意の二重丸とマークしていた。
- 義経光
- 3番ピッチャー。右投右打。140キロ台の速球を武器に、岩手県大会を全試合完封、甲子園でも山田に予告投球でホームランを打たれるまで無失点だった。俊足の好打者でもあって、武蔵坊と並ぶ主戦力だが、武蔵坊からは未熟者と叱責される場面もあった。
この他、主将富樫、安宅、平泉、千本桜、鞍馬などの選手がおり、いずれも源義経関連の人物や地名からネーミングされている。その中では2番ショートの牛若が第1打席で里中から死球を誘うなど、野球センスのあるところを見せている。また、殿馬の好守、武蔵坊の命がけの併殺阻止、義経の八艘飛びホームインなどの影に隠れてはいるものの、5番サード安宅は、まぎれもなく明訓初黒星をつけるサヨナラ安打を放った選手である(記録上は明訓のショート石毛の悪送球)。
[編集] 戦績
- 山田たちの2年夏の甲子園岩手県大会を、全試合1-0、しかも決勝点はつねに9回に入れて逃げ切る。
- 同甲子園全国大会一回戦で、明訓の宿敵・高知土佐丸高校と対戦。武蔵坊のホームランによる1点を守りきり、やはり1-0で二回戦進出。
[編集] 明訓高校戦
明訓 | 1 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 1 | = | 2 |
弁慶 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 2 | 0 | 1x | = | 3x |
- 予想以上に多数の観客が甲子園球場に詰め掛けたため、急遽ラッキーゾーンを開放し、甲子園球場には6万人の大観衆が入場した。
- 義経がテレビのインタビューを利用して、「初回第一打者初球ど真ん中ストライク」を予告。これを受けて明訓・土井垣監督が「1番キャッチャー山田」の変則打線を組み、山田の高校野球時代唯一のプレイボール・ホームランで1点を先取される。しかしこれは、鈍足・山田を1番におかせて明訓の攻撃スタイルを崩すことが目的だった。
- 攻め手を封じられた明訓は、7回裏、内野安打で出塁の義経を一塁においてつづく武蔵坊を敬遠する作戦に出るが、この敬遠のボールをホームランされ、逆転を許す。
- 9回表2アウトから、今度は「1番山田」が弁慶高校にとって裏目となって山田に打席が回り、6万人の大・山田コール一色の中で山田は期待通り同点ソロホームランを放つ。このシーンは、ドカベン・大甲子園シリーズにおける屈指の名場面である。
- 9回裏、1死から義経がレフト前安打で出塁。つづく武蔵坊のホームラン性の打球を、セカンド殿馬が彼ならではのジャンプで阻止、シングルにとどめる。つづく5番安宅のセンターへ抜けかけた打球をこれも殿馬が好守、ショート石毛にトスして一塁走者・武蔵坊を封殺、しかしダブルプレーをねらった送球が武蔵坊に命中してしまう。併殺崩れの間にサヨナラのホームをねらった義経を刺そうと、殿馬がこぼれ球をひろってバックホーム。タイミングは完全にアウトだったが、義経は大ジャンプ「八艘飛び」で捕手・山田の頭上を抜き、アウトになることなくホームインし、弁慶高校のサヨナラ勝ち。
- 石毛の送球を頭部に受けていた武蔵坊は、打倒明訓を果たしたことを確認した後、グラウンドに倒れ、続く三回戦を欠場することになった。
- 公式戦で敗れたら、日本ハム入りすると当時の大沢監督と約束していた土井垣監督は、この試合敗戦後、約束通り日本ハム入りした。
[編集] 明訓戦後
- 武蔵坊が治療のため地元への帰途についた日(甲子園入りははるばる岩手から歩いたが、このときはさすがに新幹線で戻った)、武蔵坊を欠いた弁慶高校は、三回戦で大阪代表・通天閣高校に敗退(最終的なスコアは不明だが5回終了次点で0-6の大差になっていた)。
- 山田たちの2年秋の岩手県大会では、やはり武蔵坊を欠いたまま太平洋のいる花巻高校に決勝で敗れた。
- 山田たちの3年夏の甲子園を描いた「大甲子園」では、「明訓を初めて倒した高校」として、回想シーンなどでしばしば名が出た以外、具体的な描写はない。同大会の岩手県代表は前期の選抜大会に続いてやはり花巻高校である。
- その後「プロ野球編」、「スーパースターズ編」で数回、武蔵坊が出たことがある。
- 「スーパースターズ編」で義経がスーパースターズに一巡目でドラフト指名された。
- ドラフト指名後、義経はスーパースターズに入団した。ちなみに背番号は「3」である。