岩鬼正美
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岩鬼 正美(いわき まさみ)は、漫画「ドカベン」に登場する架空の人物。アニメ版での声優は玄田哲章。
誕生日は4月1日。血液型はB型。家族は父母と兄三人。
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[編集] 概要
- 右投げ右打ち。ポジションはサード。
- 非常に個性の強い容貌怪異な(特に登場初期)キャラクター。身長195cmの巨漢で、学生帽に葉っぱを咥えたひと昔前の番長漫画の悪役のような格好をしている。
- インテリで出来の良い兄達に対しコンプレックスを持っていた。中学時代に出会ったドカベンこと山田太郎に影響を受け柔道、やがては野球に目覚め、高校野球を経てプロ野球の選手となる。
- 3人の兄達は、名前に『彦』が付けられており、本来なら『岩鬼正彦』と名付けられるはずだったが、産まれた時に女の子の様に可愛らしい顔だった為、『正美』と命名される。
- いつも葉っぱをくわえているが、これは赤ん坊の頃からおしゃぶりを嫌がり葉っぱを咥えてていたためである。岩鬼の気分によって花が咲いたり枯れたりする。
- 何事も一番が良いという性格故に打順も一番にこだわり、他の打順になると成績が振るわなくなる。
- 神奈川出身にもかかわらず関西弁を話す。これは、幼少時に世話をしてもらった乳母「おつる」が関西出身だったため、その言葉使いが移ったためである。
- 他人を自分で決め付けた名前で呼ぶことが多い(山田を「や~まだ」、不知火を「フチカ」など)が、そのうち一部は本当に間違えて言っているらしい。
- 高校時代に夏川夏子という彼女がいたが、その後、夏子は政略結婚させられる(その後離婚)。
- サンマの丸焼きが好物(でも自分ではまずいと言っている)で、骨ごと平らげてしまう。
- バッターボックスに立つ時でもヘルメットを被らず、いつも学生帽を被っている(もちろん本当はルール違反)。本人は「帽子は身体の一部」と語り、入浴時も着帽しそのまま洗髪するシーンもある。ただしドカベンラストシーンで、帽子を取って上に投げるシーンがある(ただし、投げ飛ばされた帽子のみ描かれており、帽子を取った岩鬼自身の姿は描かれていない。なお作者自身、岩鬼が帽子を取った姿は全く考えていないという)。
- 鷹丘中学では柔道部に入部するも、後に野球部に入部。
- 父親は岩鬼建設(株)の社長だった。いわゆる金持ちの御曹司だったが、1年時の甲子園選抜大会の決勝戦の日に会社が倒産した為、一気に貧乏生活に陥ってしまう。この際、岩鬼に某プロ球団への入団を確約させるのと引き替えに援助の話が持ち込まれるが、息子の気持ちを考えた父親が断っている。
- ブラック・ジャック「人間鳥」 ルパン三世 DEAD OR ALIVE でゲスト出演している。
- プロ野球選手になっても相手を侮辱するような言動をとっているが、イチローと長嶋監督(当時)にだけはそのような言動をとっていない。
- 「グワラゴワガキーン!」という独特な打球音をしており、打球の威力や飛距離によって「ゴワ」の数や「ガキーン」の伸び具合が代わる。※たまにまともな打球音(カキーン等)になる事もある。
- 仰木彬が悪球打ちの理解者であり、12巻では岩鬼が「仰木はんが死んでしもうた……淋しい……」と涙ぐんでいた。
- 守備範囲は広く、ファインプレイを連発するのだが、普通のサードゴロをエラーすることも多い。悪送球も多く、守備率はかなり悪いと思われる。
- 2007年の古巣・福岡ソフトバンクホークスとの開幕戦では、ホークス控え室に王監督の復帰祝いにと大量の花束を送り、「これで王監督に遠慮する事無く打てる」と豪語している。
[編集] 明訓高校時代
明訓高校に入学後、野球部に入部。守備は主に三塁手だが、右翼手、投手、二塁手、捕手の経験もある。高校3年夏の甲子園出場時、青田高校戦(再試合の二試合目)で登板したときMAX158キロを記録する(本人は「フォーム次第で170キロも軽い」と豪語)。ただし全くのノーコン。
一年の頃から明訓高校の一番打者として活躍。悪球打ちは得意だが、ど真ん中が打てない欠点がある。二年の秋から主将になり、野球部を引っ張る。
[編集] プロ野球界へ
三年の夏の甲子園終了後、プロ野球ドラフト会議で巨人・長嶋(現・終身名誉監督)とダイエー・王のON監督から1位指名を受け、高校卒業後に福岡ダイエーホークス(現・福岡ソフトバンクホークス)に入団(但し、チームメイトとなったはずの「あぶさん」こと景浦安武との共演は実現せず)。
岩鬼在籍時のホークスは3回リーグ優勝し、2回日本一になっている。
当初はプロのコントロールの前に不振が続くが、やがてど真ん中をカットする技を覚え、焦った投手が乱れた所をしとめる手口でホームランを量産。恐怖の1番打者として、本塁打王争いの常連に。
また山田のプロ初出場試合(山田はこのとき岩鬼のクロスプレーで当時の正捕手伊東勤が負傷した際に途中交代で出場)では「わいの場外が見れなくなるやろ!」と吠えて福岡ドーム(現在の福岡Yahoo! JAPANドーム)の屋根を開けたまま試合をするという異例の展開となった。当たり前だが場外弾は出なかった。実際にバックスクリーンを超えて場外にするには200mは軽くとばさなければならないらしい。ちなみにこの試合で最長の打球は山田のプロ第2打席の特大の逆転満塁ホームランでの160m。
初打席は開幕戦の一番に起用され西武の渡辺久信投手から初球のインコース高めの威嚇球を打ちホームラン(実際、この記録は日本で記録されたことはなく、メジャーリーグでも松井稼頭央しか記録していない。また、この日は岩鬼の誕生日でもあり、メモリアルづくしのホームランとなった。
1997年の開幕戦で、左打者であるイチローの真似をして先頭打者本塁打を放ったことがある。2000年にもイチローの真似をして左打席に立ったがその打席はショートゴロに終わった。また、同年にはにバント打法で首位打者を目指し、打率5割以上をキープしていたが、シーズン途中で挫折した。
1997年のオールスターで、仰木彬・全パ監督による守備位置交代で三塁手から捕手に代わり、里中智とバッテリーを組んだ。急造捕手(山田のミットとマスクを借り、プロテクターは着けなかった)であるにも関わらず、(全セ・古田敦也も驚く)良いリードで(実はこれは山田がリードしていたのだが)、里中の連続三振の記録を16に伸ばした。
現在は高校時代の先輩である土井垣将率いる東京スーパースターズに所属。
サチ子をめぐる里中との三角関係(もっとも岩鬼自身は全く関知していないが)がストーリーの軸の一つとなっていたが、かつての想い人・夏子の離婚を知った事を機に新潟まで夏子と、夏子の娘でそこで野球少年団に入っていた遙に会いに行き、その後2人を横浜の自宅の隣室に呼び寄せ、遙に女子も入れる野球少年団のある小学校を紹介した。
また開幕第1打席はほとんど先頭打者ホームランを放っており、スーパースターズ入団してからの4年全てで開幕第1打席はホームランを記録している。
- 04年 対四国(松山) 不知火
- 05年 対東北楽天(フルキャストスタジアム宮城) 真田
- 06年 対四国(東京ドーム) 不知火
- 07年 対ソフトバンク(福岡ドーム) 斉藤和巳
- ちなみに、岩鬼は入団一年目の開幕戦(1995年4月1日)から、2006年シーズン終了時まで、1685試合連続出場している。これは衣笠祥雄(日本通算2215試合連続出場)、松井秀喜(日米通算1768試合連続出場)に次ぐ歴代第3位であり、新人1年目の開幕戦からの記録では歴代1位である。
[編集] 悪球打ち
岩鬼の代名詞とも言える悪球打ちだが、これはリトルリーグで4番を打っていた際、相手チームが敬遠をしたことがきっかけ。その後ピンチ、チャンスにかかわらず、全打席敬遠された為、岩鬼はボール球(悪球)を打てるようになろうと特訓をし、見事に習得した(その代わり、ど真ん中は打てなくなった)。 相手ピッチャーがストライクを投げる場合も、眼鏡をかける等で悪球に見えるようにする工夫で打つ事が出来る。 スーパースターズ編では、2005年のシーズン開幕前に悪球打ち克服の特訓をするが結果的には実らなかった。が、オープン戦の対阪神戦では先発・藤川球児の初球ど真ん中ストレートをホームランにしている。更に同年のプレーオフ第2ステージの対アイアンドッグス戦2試合目では3打席連続で先発土門からホームランを放っているが、そのうちの2本がど真ん中である。(しかし同年シーズン戦ど真ん中打率は.065) また、悪球打ちは今亡き仰木彬が理解されていた数少ない1人であったという。
[編集] 略歴
- 球歴・入団経緯 明訓高校-福岡ダイエーホークス(1995年~2003年)-東京スーパースターズ(2004年~)