張衡
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張衡(ちょう こう)
- 中国の人物
- 張衡 (科学者) - 後漢代の政治家・科学者・文学者。
- 張衡 (道教) - 後漢末期の人物。字は霊真。沛国豊県の人。父の張陵の後を継ぎ、道教の一派である五斗米道の2代目教主となった。ただし、張陵の存在を疑問視して彼を実質上の教団組織を創設者とする説もある。熹平7年1月7日(当時の暦)(ユリウス暦177年)死去したとされる。張衡の死後、子の張魯が教主となると、張衡は『嗣師』と尊称された。
- 張衡 (政治家) - 隋の御史大夫。隋の文帝を毒殺し、その次男の楊広を擁立した功績を残す。だが後に煬帝に疎まれ、ベトナム(または突厥と境する内蒙古付近の説もある)と国境である楡林太守に左遷。やがて江都宮監(建築長官)に任命されるが、彼を警戒していた煬帝によって、庶人に落とされ、612年に煬帝によって無惨に誅殺された。「わしは長生きしたかったから、あんなこと(煬帝擁立計画)をしたのだ!」というのが張衡の最期の言葉であったという。
- 天体
- 張衡 (小惑星) - 紫金山天文台が発見した小惑星。番号1802。1-1.にちなんで命名された。
- 張衡 (クレーター) - 月にあるクレーター。1-1.にちなんで命名された。en:Chang Heng (crater)