徳永昌重
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
徳永 昌重(とくなが まさしげ、1581年(天正9年)-1642年7月15日(寛永19年6月19日))は、江戸時代前期の大名。美濃国高須藩の第2代藩主。初代藩主・徳永寿昌の子。正室は下間頼龍の娘。官位は従五位下。左馬助。
通称は左太郎。父と共に豊臣秀吉に仕えていた。慶長5年(1600年)の関ヶ原の戦いでは父と共に東軍に与した。慶長16年(1611年)には禁裏の普請助役を務めている。翌年7月10日、父の寿昌が64歳で死去したため、その後を継いで藩主となる。大坂の役などでも武功を挙げて最終的には5万700石まで加増を受けた。
しかし寛永5年(1628年)、大坂城石垣普請の助役を務めていたときに、作業が遅延していたという理由から改易されてしまった。寛永19年(1642年)6月19日、死去した。
|
|
|