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大坂の役 - Wikipedia

大坂の役

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』

大坂の役(おおざかのえき、1614年慶長19年〕 - 1615年慶長20年〕)は、江戸幕府豊臣宗家(羽柴家)を滅ぼした戦いである大坂冬の陣(おおざかふゆのじん)と大坂夏の陣(おおざかなつのじん)(6月4日旧暦5月8日)終局)をまとめた呼称。一般には「大坂の陣(おおざかのじん)」と呼ばれることが多い。ごくまれに「大坂の乱」と呼ばれることもある。

目次

[編集] 端緒

豊臣秀吉死後の豊臣政権においては五大老徳川家康が影響力を強め、1600年(慶長5)に五奉行石田三成らが蜂起した関ヶ原の戦いにおいて家康は東軍を指揮して三成らを撃破する。徳川家康は戦後処理や論功行賞を主導するなど実権を握った。

慶長8年(1603年3月24日2月12日)、家康は伏見城で征夷大将軍に就任し、江戸幕府を開き、江戸城を始め普請事業を行うなど政権作りを始める。家康の政治目標は長期的に安定的な政権をつくることであったとされ、徳川家の主君筋に当たる豊臣家の処遇が問題となる為に、徳川家を頂点とする幕府のヒエラルキー社会では豊臣家は別格的存在となり、家康は徳川幕府の今後の安泰を図るため、豊臣家を服属させるか、それが拒絶された場合には処分する事を考え始めたという。

同年7月、徳川秀忠の娘である千姫が秀吉の遺言に基づき子の豊臣秀頼に輿入した。慶長10年4月に家康が将軍職を辞して将軍職を秀忠に譲ると、同時に秀頼(同年右大臣に任官)に対して臣下の礼を取るように高台院を通じて秀頼生母の淀殿に要求するなど友好的対話を求める。この時、淀殿は会見を拒否し両者の関係は悪化するが家康は松平忠輝を大坂に遣わし融和に努めている。慶長16年(1612年)3月、後陽成天皇の譲位を受けての後水尾天皇即位に際して上洛した家康は二条城での秀頼との会見を要請する。秀頼の上洛を求める家康に対し反対もあったが、加藤清正浅野幸長ら豊臣家恩顧の大名らの取り成しもあり会見は実現する。このとき、家康は在京の大名を二条城に招集させて誓詞を提出させている。

この前後、豊臣家に対し融和策をとる徳川家も戦の準備は怠らず、関が原合戦の翌年、慶長6年(1601年)に築城を始めた膳所城を皮切りに伏見城二条城彦根城篠山城亀山城名古屋城の天下普請を行い、更に姫路城上野城などを大改修する事で豊臣氏への包囲網と西国大名の押さえとした。また攻城兵器として国友鍛冶に大鉄砲大筒の製作を命じ、他にも石火矢鋳造イギリスオランダに対し大砲焔硝・鉛(砲弾の材料)の注文を行っている。

二条城の会談により両者の緊張は緩和したものと思われた。しかし、慶長16年に浅野長政堀尾吉晴加藤清正が、18年に池田輝政浅野幸長、19年に前田利長が亡くなると、豊臣家の孤立はいっそう強まり、その焦りからか朝廷より官位を幕府に無断で賜ったり(慶長18年発布の『公家衆法度』に違反)、兵糧や浪人を集めだし、更には前田家と誼を通じようとするなど、幕府との対決姿勢を前面に押し出し始めた。

[編集] 方広寺鐘銘事件

1614年(慶長19年)、慶長14年から豊臣家が再建していた京都方広寺大仏殿はほぼ完成し、4月には梵鐘が完成する。総奉行の片桐且元は、梵鐘の銘文を南禅寺文英清韓に選定させる。且元は駿府の家康への銘文の選定や大仏開眼供養の導師や日時の報告などを逐次行い上棟は間近であったが、7月に家康は家臣の本多正純を通じて、梵鐘銘文の文中に不吉な語句があるとして、大仏供養を延期させる。家康は五山の僧(金地院崇伝ら)や林羅山に鐘銘文を解読させた。文中に「国家安康」「君臣豊楽」とあったものを、「国家安康」は家康の名を分断し、「君臣豊楽」は豊臣家の繁栄を願い徳川家に対する呪詛が込められていると断定した。これは豊臣家攻撃の口実でしかないとも考えられている。

豊臣方は8月に且元を駿府へ派遣して弁明させるが、且元は家康と面会していない。しばらくして大野治長の母の大蔵卿局を駿府へ下され、家康は大蔵卿局とは面会して丁重に迎えている。家康は銘文事件を差し置き、双方の問題は豊臣方の徳川家に対しての不信にあるとし、家臣に命じて大蔵卿局と且元と同席させた上で、双方の親和を示すように要求したという。且元は9月に大坂へ戻り、私案として秀頼の大坂城退去などの妥協案を進言するが、返答を聞いた豊臣家では大坂城は秀吉公以来の居城であり、この要求を徳川家康の実質的の宣戦布告と受け取る。且元や弟の片桐貞隆織田長益(有楽斎)など和平派を追放、決戦の準備に着手した。相前後して、秀頼に近侍していた石川貞政なども退去。これに対して家康も諸大名に大坂城攻撃を宣言した。

[編集] 大坂冬の陣

冬の陣布陣図(慶長19年12月)拡大
冬の陣布陣図(慶長19年12月)拡大

豊臣家では戦争準備に着手し、秀吉の遺した莫大な金銀を用いて関ヶ原以後に増大した浪人衆を全国から結集させて召抱える。また豊臣恩顧の諸大名に大坂城に集結するように檄文を送ったが、馳せ参じる大名はなく、ただ福島正則が大坂にある蔵屋敷の兵糧を事実上提供するにとどまった。更に籠城のための武器、兵糧蓄えを行う。集まった浪人を併せた豊臣方の総兵力は約10万人で、著名な浪人として真田信繁幸村)、長宗我部盛親後藤基次毛利勝永明石全登(彼らは五人衆と呼ばれた)、塙直之などが集まった。大坂城に集結した浪人衆は、徳川家への復讐に燃えるもの、戦乱に乗じて一旗上げようとする者などで非常に戦闘力が高く士気も旺盛だったが、いかんせん寄せ集めに過ぎないため統制がなかなかとれず、作戦に乱れが生じる元ともなった。

豊臣軍は豊臣家宿老の大野治長を中心とする、二重の堀で囲われさらに巨大な惣堀、トーチカで固められた大坂城に立て籠もり幕府軍を疲弊させ有利な講和を引き出そうとする籠城派に対し、浪人衆の真田信繁は先ず畿内を制圧し近江国(滋賀県)の瀬田川まで軍を進めここで関東より進軍してくる幕府軍を迎え撃ち、足止めしている間に諸大名を味方につけ決戦に臨めるようにし、それでも大名が味方につく見込みが無いときに初めて城に立て籠もり戦う二段構えの作戦を主張し、後藤基次・毛利勝永も真田案を元に伊賀(三重県伊賀市)と大津(滋賀県大津市)北西にも兵を送り足止めをすべしと主張して対立したが、結局、大野治長ら豊臣家臣の案である周辺に砦を築きつつ(警戒・連絡線を確保する為)、堅固な大坂城に籠城する作戦が採用された。

[編集] 緒戦

戦闘は木津川口の砦(11月19日)においてはじまる。数ヶ所の砦が陥落した後には残りの砦を破棄、大坂城に撤収する。この間に11月26日には鴫野・今福で、11月29日には博労淵、野田・福島において激しい戦闘が行われた。

[編集] 攻囲戦から和議へ

豊臣方が撤収した大坂城を徳川方は約20万の軍で完全に包囲、家康も12月2日茶臼山に着陣しその後、各隊は塹壕・築山を楯に城に近接していった。 この包囲戦における最大の戦いとなった真田丸、城南の攻防戦(12月3日、4日)では幕府軍を撃退、諸隊に大きな損害を与えた。

豊臣方の買占めによる兵糧不足や真冬の陣であった徳川方は早期より豊臣方との和平交渉を行い、また豊臣方も同じく兵糧に加え弾薬の欠乏や徳川方の心理戦、更には12月上旬からの大砲大筒石火矢青銅砲)による砲撃(16~19日には三百門もの大砲が一斉に射撃された)で天守などに被害を受けた結果、将兵は疲労し、また豊臣家主導的立場にあった淀殿も天守への砲撃で和議に応じたという(16日)。交渉は18日より徳川方の京極忠高の陣において家康側近の本多正純阿茶局と、豊臣方の使者として派遣された淀殿の妹である常高院との間で行われ、本丸を残して二の丸、三の丸を破壊する事、外堀を埋める事や、大野治長や織田有楽の処分などを条件で19日に和平が成立した。

[編集] 堀の埋立

和議の条件が「総掘」の埋め立てであり、これは「外堀」のみを指すとする豊臣側と、全ての堀を意味すると言う徳川側との間で解釈の齟齬があったと考えられる。 この解釈の折り合いが済まない間に、徳川側は独断で突貫工事で外堀以外にも内堀をも埋め、城壁まで破壊する壊平工事を行う。

[編集] 大坂夏の陣

和平成立後、家康は京都から駿府へ戻り、秀忠も伏見へ引いたが、一方で国友鍛冶に大砲の製造を命じるなど戦争準備を行っている。3月、大坂に浪人の乱暴・狼藉、堀や塀の復旧、京や伏見への放火の風聞といった不穏な動きがあるとする報が京都所司代板倉勝重より駿府へ届くと、徳川方は浪人、豊臣家の移封を要求する。家康は4月に徳川義直の婚儀のためとして上洛し、諸大名に出陣準備を命じて鳥羽伏見に集め、江戸から西上した将軍徳川秀忠と二条城において軍議を行う。この時の幕府方の戦力は約15万5千、5月5日に京を出陣した家康は自軍に対し「三日分の腰兵糧でよい」と命じたという。

豊臣方では、4月9日には交渉にあたっていた大野治長が城内で襲撃される事件が起こる。また主戦派の浪人たちが埋められた堀を掘り返したりしている。 和議による一部浪人の解雇によりこの時の豊臣家の戦力は5万5千に減少し、さらに丸裸にされた大坂城では籠城戦は不利と判断したとされ、積極的にうって出る作戦を立てている。 なお、この頃、織田有楽斎は、最終的に豊臣家に見切りを付けて、大坂城を退去している。

[編集] 樫井の戦い

豊臣方は大野治房の一隊に暗峠を越えさせて、4月26日には筒井定慶の守る大和郡山城を落とし、付近の村々に放火。28日には徳川方の兵站基地であったを焼き打ちする。治房勢は、4月29日には一揆勢と協力しての紀州攻めを試みるが、先鋒の塙団右衛門淡輪重政らが単独で浅野長晟勢と樫井の戦いを行い討死した。その後、大野治長らは浅野勢と対峙しつつ5月6日まで堺攻防戦を行う。

[編集] 道明寺・誉田合戦

次いで大和路から大坂城に向かう徳川軍3万5000を迎撃する道明寺合戦が起こる。寄せ集めの軍勢である豊臣方は霧によって分散し、後藤基次の2800が単独で小松山に進出、伊達政宗水野勝成堀直寄本多忠政松平忠明ら2万以上に対し、奮戦するも全滅、次いで到着した明石全登薄田兼相山川賢信北川宣勝ら3600の兵も小松山を越えた徳川軍と交戦し、薄田兼相らが討死した。

遅れて到着した真田信繁毛利勝永福島正守渡辺糺大谷吉治伊木遠雄ら1万2千の兵が到着し、真田隊が伊達政宗隊、先鋒で騎馬鉄砲隊を有する片倉重長隊の進軍を押し止め(誉田の戦い)、残兵を回収し後退。徳川軍も連続した戦闘に疲弊し追撃を行わなかった(5月6日)。

[編集] 八尾・若江合戦

同日、兵6000の木村重成長宗我部盛親増田盛次ら5300の兵による京都から大坂城に向かう徳川本軍12万を迎撃する八尾・若江合戦では、こちらは長宗我部隊が霧を隠れ蓑に藤堂高虎隊5000を奇襲し、藤堂一族その他多数の首を獲ったが徳川方の援軍に阻まれ、後退中に追撃を受け壊滅。木村重成も藤堂隊の一部を破った後、井伊直孝隊3200らと交戦、激戦の末に討死した。

豊臣方も意地を見せるが、大勢ではいよいよ大坂城近郊に追い詰められた。

[編集] 天王寺・岡山合戦

夏の陣(天王寺・岡山合戦)布陣図(元和元年5月7日)拡大
夏の陣(天王寺・岡山合戦)布陣図(元和元年5月7日)拡大

5月7日、最後の決戦のため豊臣軍は大阪市阿倍野区から平野区にかけて迎撃体制を構築した。

天王寺口は茶臼山が真田信繁、子の真田幸昌、一族の真田信倍が布陣(3500)。茶臼山前方は真田信繁寄騎渡辺糺大谷吉治伊木遠雄が布陣(2000)。茶臼山西は福島正守福島正鎮石川康勝、篠原忠照、浅井長房らが布陣(2500)。茶臼山東は江原高次、槇島重利、長岡興秋が布陣(不明)。四天王寺南門前には毛利勝永隊、木村重成後藤基次残兵など6500。

岡山口は大野治房を主将に寄騎は新宮行朝岡部則綱らが、また後詰に御宿政友山川賢信北川宣勝らが布陣(計4600)。

茶臼山から北西に離れた木津川堤防沿いに明石全登(300)、全軍の後詰として四天王寺北東の後方に大野治長七手組の部隊(計1万5000?)が布陣。

これに対する徳川方の配置は前日に戦闘をし、損害を負った大和路勢(3万5000)と浅野長晟5000を茶臼山方面に(これは真田への備えとも考えられる。また実際は松平忠直(1万5000)が抜け駆け(当初より先陣を仰せ付かっていたともいう)をし、大和路勢前方に展開。茶臼山の真田勢と対峙した)、同じく損害を負った井伊・藤堂勢を岡山口の二番手に配置した。

天王寺口先鋒は本多忠朝を大将とした秋田実季浅野長重松下重綱真田信吉六郷政乗(計5500)。二番手を榊原康勝小笠原秀政仙石忠政諏訪忠澄保科正光(計5400)。三番手を酒井家次松平康長松平忠良松平成重松平信吉内藤忠興牧野忠成水谷勝隆六郷政乗稲垣重綱(計5300)としその後方に徳川家康(1万5000)が本陣を置く。

一方、岡山口は先鋒前田利常本多康俊本多康紀片桐且元(計2万)。二番手は先述の通り井伊直孝藤堂高虎(計7500)細川忠興(不明)。その後方に近臣を従えた徳川秀忠(2万3000)が本陣を置いた。一説には一番手と二番手の間に黒田長政加藤嘉明(不明)が参陣していたといわれるが詳細不明(黒田長政が描かせたという「大坂夏の陣屏風」から参陣していたのは間違いないと思われる)。

また、後の御三家の内、徳川義直徳川頼宣が参陣しているが詳しい配陣は不明である。

正午頃、豊臣方・毛利勝永隊が物見に出ていた徳川方・本多忠朝隊を銃撃、これをきっかけに開始された戦闘は瞬く間に全線に波及、これまで例を見ない兵力と火力により戦場はすぐさま混乱状況へと至った。この混乱を奇禍とし天王寺口・茶臼山では毛利勝永・真田信繁両隊が、岡山口では大野治房隊が家康・秀忠本陣へ突撃、敵陣を突破し本陣へ迫った。

天王寺合戦において、先に銃撃を仕掛けた毛利勝永は、先手を打った勢いで徳川軍先鋒大将の本多忠朝隊を壊滅させ、忠朝を討ち取り一番手を突破。また本多隊の救援に駆けつけた小笠原秀政忠脩隊(忠脩は松本城守備の命に背いての無断参戦だったが、家康から特に黙認されていた)を撃退、二人を討ち取り、残る二番手の榊原康勝仙石忠政諏訪忠澄の三隊も暫く持ち堪えるものの混乱に巻き込まれ壊乱、これらの敗兵が雪崩込んだ三番手も同様の事態に陥り、徳川家康本陣は丸出しとなる。また真田信繁は自隊を先鋒・次鋒・本陣など数段に分け、天王寺口の松平忠直隊と一進一退の激戦を続けていたが、「紀州(浅野長晟)が裏切った」という虚報に松平勢が動揺するのに乗じて突破すると、手勢を率いて徳川家康本陣へ強行突破を図り、三度に渡り本陣へ猛突撃を加えた。

これらの攻勢に家康本陣は大混乱に陥り後退。後退中、三方ヶ原の戦い以降倒れたことのない家康の馬印を旗奉行は倒した上、家康を見失い(後に旗奉行は詮議され、閉門処分となる)、騎馬で逃げる(一説に、平野方面に逃げたと言われている)家康自身も切腹を幾度もなく口走ったという。また、旗本の中には三里も逃げたものがいたという。しかし突撃される度に後退し落伍兵も出るも、どうにかこれを撃退する。また、大和路勢や突破された諸隊も側面から攻め立て始めた。

一方、岡山合戦においても大野勢と前田勢が交戦していたが天王寺口の苦戦に二番手の井伊・藤堂勢が転戦、これに乗じて大野勢が前田勢を突破し、秀忠本陣を急襲。家康本陣と同様こちらも大混乱となり、秀忠近臣達の命令は錯綜、秀忠自身が鑓を取って駆け込もうとするのを何とか抑えるほどであったという。こちらは後退することなく力押しで持ち堪え、再度転戦した井伊勢などの援軍もあり撃退した(余談であるがこの時、直ぐに逃げた家康と持ち堪えた秀忠の両者の行動に戦闘経験の差があると言えるだろう)。

この間、両者の後詰である筈の大野治長・七手組は秀頼の出馬を待ったが、淀殿の説得に手間取り出馬した頃には本陣に突撃した両隊はすでに撃退されていた。その後、混乱状態から回復し体勢を立て直した徳川方の圧倒的兵力と火力に押され、孤立した上に後詰もなく、疲労の極にあった豊臣勢は午後三時頃には壊滅。真田信繁討死の報で総崩れとなり、城内に総退却。

本丸以外の堀を埋められ裸同然となっていた大坂城はもはや殺到する幕府軍に対してまともな防御力がなかった。真田隊を壊滅させた松平忠直の越前勢が一番乗りを果たしたのを初めとして幕府軍が続々乱入、城内に残っていたものは自害するもの、偽首を取られるもの、捕らえられ売り飛ばされるものと悲惨な光景が繰り広げられた。
遂には大坂城本丸内部で内通者による火の手が天守閣に上がり5月7日深夜に大坂城は陥落した。燃え上がる大坂城郭は大坂の夜空を照らし、京からも真っ赤にそまる大坂の空の様が観えたという。

翌日、脱出した千姫による助命嘆願も無視され、秀頼は淀殿らとともに籾蔵の中で自害した(現在の大阪城公園内には天守閣北側の山里丸跡に「自刃の地」と記した碑があるが、落城・焼失後に徳川幕府が再建した際に縄張りを改めており、豊臣時代のものとは若干の相違がある。また、実際の自害の地とされる場所としては籾蔵の他に「山里丸内の隅櫓」など諸説ある)。

この合戦において徳川方が苦戦したのは勝敗の帰趨を制するといわれる先鋒戦で徳川方が敗戦した為で、これは大軍同士の戦闘により徳川方は包囲等の兵力の優位を生かした作戦を行えず、前線ではほぼ同数の戦闘であった事。そして豊臣方が野戦築城を構築し、そこへ徳川方が攻め寄せるという長篠の戦い関ヶ原の戦いと同様の形態が行われた結果、徳川方先鋒は崩れ、そこに豊臣方が突撃したという流れが考えられる。

他にもこれまで前例のない大軍(動員兵力では小田原の陣朝鮮の役も匹敵するが一箇所で野戦を行ったという意味では本合戦が最大)による統率・機動の混乱。冬の陣から間を置かぬ再度の動員で幕府や諸大名の財政が逼迫する事を懸念した家康が早期決戦を急いだ事が挙げられる。無論、豊臣方が完全に後が無い事による自暴自棄ともいえる奮戦振りも、ここまで徳川方が苦戦した理由の一つに数えられるだろう。家康の合戦の中で、人的被害(討死)が一隊の将にまで及んだのもこの合戦のみである。

また、徳川家康は当初大坂冬の陣では出陣させるのは譜代のみに限ろうと考えていたが、豊臣恩顧の大名に敢えて大坂を攻めさせることにより、将来的に徳川家に掛かってくる倫理的な非難を回避しようとしたとされる(江戸時代に徳川家が豊臣家を滅ぼしたことに対する道徳的議論は立ち上がることはなかった。むしろ徳川家家臣において敵将に対する騎士道的賞賛が盛んに行われた)。

[編集] 戦後処理

秀頼の子の国松は潜伏している所を捕らえられて処刑、また娘の奈阿姫は僧籍に入ることで助命された。徳川家光の代には秀吉の墓まで幕府によって暴かれ、長宗我部盛親はじめ残党の追尾は10年以上に渡って行われた(徳川幕府転覆を企てた由井正雪の片腕とされた丸橋忠弥は長宗我部盛澄といい長宗我部盛親の側室の次男という)。盛親以外には、細川興秋は父・細川忠興から自刃を命じられ、増田長盛は盛次の罪を背負う形で配流先の岩槻で、また古田織部は国松を匿った疑いでそれぞれ自刃した。明石全登の行方は定かではないが、その息子・明石小三郎は1633年寛永10年)に薩摩で捕まっている。

一方で、豊臣家を滅ぼした徳川方にも大きなしこりを残した。忠直は、大坂城一番乗りの褒賞が大坂城でもなく(松平忠明に与えられた)新しい領地でもなく茶器の漢作大名物の一つで、足利義政織田信長→家康→秀吉→宇喜多秀家→家康と巡ってきた「初花肩衝」だけだったことに不満だったか、後に乱行の末改易となった(「初花肩衝」も将軍家に戻り、柳営御物の一つとなった)。

また天王寺合戦で伊達政宗松平忠輝は参戦せず(戦闘正面が取れなかったと思われる)、加えてその前後にも忠輝は不祥事を起こした。その為、後に両者が結託し謀反を企てていると疑われ、松平忠輝は改易となった。

島津氏は秀頼からの書状に対し「豊臣家への奉公は一度済んだ」と返事したが、徳川方としての出陣は冬の陣・夏の陣とも結果的にかなわなかった(夏の陣では、鹿児島を発ち平戸に到着した時に大坂の役の情報を聞いて引き返している)。これは当時、藩主島津忠恒が進めていた藩政改革がうまく行かず、家臣団の統制すらままならなかったからであるが、島津の不参加は一時「島津謀反」の噂を引き起こし、一時小倉藩の監視を受ける羽目となった。この一件以後、島津氏は藩政改革を一気に推し進め、また幕府の行う事業や島原の乱への出兵など積極的にこなしていった。

この戦いを境に戦国時代より続いた大規模な戦闘が終焉した。これを元和の偃武と言う。

[編集] 伝承

真田信繁(幸村)

大坂夏の陣での真田信繁(「幸村」の名はその存命中一度も使われておらず、正しくは「信繁」。後に信繁の名を憚り「幸村」が使われるようになった)の活躍は華々しいものであった。江戸時代でも歌舞伎などで演じられ、錦絵に描かれるなど、徳川政権下でも後世へ語り継がれた。特に、江戸中期頃に書かれた「真田三代記」は信繁のみならず真田一族の名を高めるのに貢献した。

天王寺合戦は島津家の「薩藩旧記」で「真田日本一の兵、古よりの物語にもこれなき由、徳川方、半分敗北」、「家康が切腹も考えるほどだった」などと記された。 また家康本陣を守備していた藤堂高虎の一代記である高山公実録にも「御旗本大崩れ」と記され、藤堂勢は一応の応戦はしたものの、真田隊の勢いの前では効果無く、ほどなく家康は本陣を捨ててしまい、高虎自身も、家康の安危を確認できなかったと振り返っている。後に真田隊の猛攻を恐れ、家康を残して逃走した旗本衆の行動を詮議したという「大久保彦左衛門覚書」(三河物語)も残っている。

真田隊や毛利隊がどれだけ家康自身に迫ったのかは諸説あり、そのため後世の錦絵や再現イラスト、歴史漫画では様々な想像図が描かれている。また、家康の周囲にいた人間も小栗又一、大久保彦左衛門など本によって様々である。家康自身は乗馬で戦場に赴いたと考えられるが、例えば山岡荘八の「徳川家康」では山駕籠で来たことになっている。なお、家康の危急に対する諸将の救援とその直前の猛烈な前進によって、秀忠の陣も一時丸裸となり、秀忠自身も槍を取って一戦交える寸前だったという。

信繁自刃についても諸説があるが、一般的には「安居神社で石畳に腰をかけているところを討たれた」と言われている。安居神社は天王寺公園·茶臼山の北にある一心寺の北にある。これは明治時代に旧帝国陸軍参謀本部が制定したものとされ、安居神社にある「眞田幸村戦死跡之碑」には戦死の地の選定に関しての参謀本部の関与を示す一文が刻まれている。

信繁を討った松平忠直隊鉄砲組頭西尾宗次は信繁を討ったときを誇張して報告した為に、家康は宗次の「信繁を討ち取った」という報告を真に受けようとしなかったとも言われている。宗次は後に、地元の孝顕寺(福井市)に「真田地蔵」を建立して信繁の菩提を弔っている。

秀頼生存伝承

鹿児島県には、「信繁は合戦で死なず、山伏に化けて秀頼·重成を伴って谷山(鹿児島市)に逃げてきた」という俗説がある。京都大坂では陣の直後あたり、「花の様なる秀頼様を、鬼の様なる真田がつれて、退きものいたよ鹿児島へ」という童歌が流行ったという。

家康討死伝承

「家康は信繁勢に傷つけられ、のさる寺(南宗寺)に逃げ込みそこで亡くなった」という俗説があり、南宗寺境内には「家康の墓」も現存している。

大阪城攻城法伝承

大坂冬の陣で家康は一旦和睦し堀を埋め立てた後に再度、兵を挙げる事で大阪城を落としているが、この方法は家康が存命中の秀吉に直接聞いたものという逸話がある。

[編集] 関連項目

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