恵光寺 (八尾市)
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
恵光寺 | |
---|---|
本堂 |
|
所在地 | 大阪府八尾市萱振町4-1 |
位置 | 北緯34度38分23.25秒 東経135度36分19.14秒 |
山号 | 大徳山 |
宗派 | 浄土真宗本願寺派 |
本尊 | 阿弥陀如来 |
創建年 | 文明年間(1469年~1489年)頃 |
開基 | 蓮淳 |
正式名 | |
別称 | 萱振御坊 |
札所等 | |
文化財 |
恵光寺(えこうじ)は、大阪府八尾市にある浄土真宗本願寺派の仏教寺院。 通称「萱振御坊」。
目次 |
[編集] 歴史・概要
- 蓮如上人が河内国での布教の際に萱振村に立寄り、その後当地に上人の子息である蓮淳によって恵光寺が建立された。 ただし、建立年ははっきりせず、1470年(文明2年)、1469年~1489年(文明年間)、1496年(明応5年)の3説がある。(公には1470年を一応の建立年としている。)
- 戦国時代に入ると、恵光寺を中心とした萱振集落の周りに「環濠」がめぐらされるようになり、寺内町が形成された。環濠の一部はは現在も残っている。
- 1574年(天正2年)6月に織田信長は石山本願寺への攻略を開始するが、萱振の一向衆徒(門徒)は石山本願寺方に加勢し、撤退を拒否したため、1580年(天正8年)8月の石山本願寺陥落とほぼ同時期に恵光寺は放火・破壊された。
- 1685年(貞享2年)、当時の住職だった寂永は、前住職の准良と共に東派(大谷派)に転じ、摂津国平野郡(現在の大阪市平野区平野上町)の大徳山慧光寺へ、恵光寺のほとんどの寺宝とともにそこへ移った。 恵光寺はしばらく無住寺院となる。
- 明治時代末期ごろには別格寺として、また100以上の末寺を擁していた。
- 1976年(昭和51年)6月23日、本堂の屋根裏から出火し、本堂が全焼。 本尊のみは当時の住職により担ぎ出され難を逃れた。 現在の本堂は鉄筋2階建てで1979年に再建された。
[編集] 行事
[編集] 交通アクセス
[編集] 外部リンク
- 萱振御坊 恵光寺(公式HP)
カテゴリ: 書きかけの節のある項目 | 浄土系仏教 | 大阪府の寺 | 八尾市