意志の勝利
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『意志の勝利』(いしのしょうり、Triumph des Willens)は、1934年にレニ・リーフェンシュタール監督によって製作されたナチ党の全国党大会記録映画。
『意志の勝利』は古都ニュルンベルクで1934年9月4日から6日間行われた国民社会主義ドイツ労働者党(ナチ党)の全国党大会を記録した、白黒モノラル114分の映画である。製作に使用されたカメラは16台、スタッフは100人以上、撮影フィルムは60時間ぶんに上り、当時としては大がかりなものだった。
リーフェンシュタール監督はこの映画の監督をヒトラー自身から直接依頼された。主演・監督を務めた映画『青の光』に感動してのことという。リーフェンシュタールの自伝によると、宣伝相ゲッベルスの嫉妬を買いたくなかったし、ヒトラーの提示した「意志の勝利」というタイトルが大仰で芸術性のないことに嫌悪を感じたこともあって、最初は断ったという。しかし結局はヒトラーの非常な熱意と、題名以外は自由に製作させるという約束に動かされて監督を引き受けることになった。
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[編集] 作品の特徴
リーフェンシュタール監督は撮影・編集にあたっていくつもの独創的な技法を考案した。たとえばヒトラーの演説のシーンでは半円形に敷いたレールの上に置いたカメラでヒトラーを追い、様々なアングルから同じ被写体を捉えながらも見る者を飽きさせずに高揚させることに成功している。他にも大胆なクローズアップによって群衆の中の一人を切り取って見せ、それによって見る者もまたその全体の中の個であるかのような臨場感を抱かせたり、ヒトラーの飛行機によるニュルンベルク到着を冒頭に置くことによって雲の中から降臨する神・絶対者のイメージを想起させるなど、様々な手法で党大会の高揚感を伝え、また新たに作り出すことにも成功している。
党大会の演出を手がけたのは当時ヒトラーと親密だった建築家アルベルト・シュペーアであったが、リーフェンシュタール監督はシュペーアの演出の意図を汲み取ってたくみに映像に再現した。その最も代表的なものが夜の集会におけるサーチライトの演出で、当時空軍で最新の巨大サーチライトを上空に向けて作り出す光の柱は荘厳で神秘的な印象を強く観衆に刻み込んだ。ヘルマン・ゲーリング航空相は機密の漏洩を恐れてサーチライトの使用許可を渋ったが、その演出の出来栄えには満足だったという。当時のカメラでは夜間の撮影は難しかったが、この光と影、それに照らし出された巨大な鉤十字の旗は、そのコントラストだけでも観客には衝撃的だった。この強い光で垂直に上空を照らす手法は戦後もロックのコンサート演出などで使われ続けている。
『意志の勝利』にはこのほかにも、地方から集まった突撃隊(SA)の若者たちが興じるスポーツの様子や共同の生活が明るいトーンで描かれており、後の『オリンピア』につながる要素も感じられる。この突撃隊の整然たる行進や隊列の美しさもまた『意志の勝利』の魅力となっている。また後半のナチスの各組織、諸部隊のヒトラーの前での閲兵行進もまた圧巻である。ヴィクター・ルッツァを筆頭とするナチス突撃隊の行進からはじまり、ラストは、ヒムラーとナチス親衛隊の行進であり、さらにバーデンヴァイラー行進曲と共に「武装親衛隊アドルフ・ヒトラー親衛旗連隊」の力強い行進の映像になる。
[編集] 作品の評価
『意志の勝利』は完成後ドイツ各地で非常な好評を博し、ナチ党の党勢を拡大する一助となった。海外でもその整然たる映像美は高く評価され、1937年パリ万博で金メダル、1938年ヴェネチア国際映画祭ではグランプリを獲得している。しかし戦後その評価は一転し、リーフェンシュタール監督はプロパガンダによるナチズムへの協力者として訴追されることになった。この容疑は長い審判の後否認されリーフェンシュタールは無罪となったがその後も非難は続き、それに対し彼女は名誉毀損の訴訟を100件以上起こしている。
『意志の勝利』は映画史上最大の問題作と言われている。ナチズムへの加担についてリーフェンシュタール監督は「私は政治には全く興味はなかった。興味があったのは美だけ」と述べている。確かに『意志の勝利』の映像が美しいことは否定できないがその美によってナチズムが助長されたという結果に監督は責任があるのか、という問題は現在では映像メディアが含む意味論上の問題にまで深められた。『意志の勝利』は社会的にも表象文化論的にも映画史における大きなメルクマールになっている。
[編集] 上映・パッケージ
現在ドイツでは『意志の勝利』の一般上映は法律で禁じられている。アメリカでは、英語字幕付きのDVDやビデオが発売されている。日本国内では流通していないが、アメリカから通信販売で取り寄せることは可能である。
日本にも映像カルチャーセンター所蔵(ニューヨークのフィルムアーカイブよりのニュープリント)の日本版フィルムがあり、まれに上映されることがあるが、日本語版ソフト(吹き替え・字幕とも)は存在しない(2005年現在)。原版にも字幕・ナレーションは全く無く、ドイツ語音声の殆どはヒトラーや党幹部の演説であるため、ドイツ語を解しない者の鑑賞にも耐える。
[編集] 概要
[編集] 導入部
雲の上を飛行機で飛んでいる映像
伴奏でナチ党歌「ホルスト・ヴェッセルの歌」が流れる
飛行機はニュルンベルクのカイザーブルク城上空を通過する
ドイツ国の国旗が掲げられた教会上空を通過
大通りで軍隊が行進の練習を行っている
空港に降り立つヒトラーやナチス党幹部
大歓声を上げて迎える民衆の図
オープンカーで通りをパレードしながらホテルへ向かう
途中赤ん坊を抱えた若い主婦より花束の祝福を受ける
フラウエントーアグラーベンのヒトラーの定宿、ホテル・ドイッチャー・ホーフへ到着
[編集] ヒトラー滞在ホテル前の歓迎集会
ホテル・ドイッチャーホーフ前の軍楽隊演奏
[編集] 古都ニュルンベルク
カイザーブルクからの眺め
ムゼウム橋からハイリヒ・ガイスト・シュピタールを眺める
聖ローレンツ教会或いは聖セバルドゥス教会
[編集] ヒトラーユーゲント野営地の朝の風景
党大会会場の近くに野営しているヒトラーユーゲントの溌剌とした朝の情景
[編集] 農民パレード
伝統的民族衣装をまとった農民が街中をパレードする
同じく民族衣装の若い女性等が街中を行進、夢見るような瞳が印象的
それを見物している幼い少女が幸せそうな笑みを浮かべる
ヒトラーが登場して農民らに握手
ドイツ労働前線のメンバーとも握手
ヒトラー、オープンカーで会場を去る
[編集] NSDAP屋内集会
ルイトポルトハレ公会堂での党大会開会式
ナチス幹部の演説(内容省略)
[編集] RAD屋外集会
ツェッペリンフェルト広場における国家労働奉仕団の集会
歴史ドキュメンタリーに度々引用されているシーンである
参加者が一人づつ出身地を言い、その後全員で「一つの民族、一人の総統、一つの国家、ドイツ!」と叫ぶ
続いて第一次大戦の戦死者と政治闘争の犠牲者を弔う儀式
[編集] SA(突撃隊)夜間屋外集会
ツェッペリンフェルト広場でのSA集会
音楽隊の演奏「国民よ武器をとれ」
レーム事件の直後なので、後任のSA幕僚長ルッツェがヒトラーへの忠誠を誓う
[編集] ヒトラーユーゲント集会
ワールドカップドイツ大会でも使用されたスタジアム、フランケンシュタディオンでの
ヒトラーユーゲントの日の集会
ヒトラーユーゲントの少年たちの鼓笛演奏「青年行進曲」
その後ヒトラーとシーラッハの演説
[編集] ドイツ国防軍の新兵器のパレード
再軍備宣言を翌年に控えたドイツ国防軍(ライヒスヴェーア)の新兵器のパレード
[編集] ツェッペリンフェルト広場での政治指導官夜間集会
NSDAP政治指導官の夜間集会
[編集] ルイトポルトアレーナ広場昼間集会
ここではSSとSAによる政治的殉難者追悼と隊旗の授与の儀式が行われる。
大掛かりなマス・シーンの映像は圧倒的で、リーフェンシュタールの映画製作技術が高すぎるが故に
最大級のプロパガンダ効果が発揮され、危険な陶酔を生み出す。この映画の最大の見せ場の一つである。
ヒトラーのSA、SSに向かっての演説
[編集] 古都ニュルンベルク旧市街軍事パレード
カギ十字のバナーの下を下から見上げながら通過する映像から入る。これもよくドキュメンタリー映画などで引用されているお馴染みのシーン
その後、ヒトラーのオープンカーがブルク通りを通ってフラウエン教会前の中央広場に入場
この後明るい行進曲に合わせてSA、SS、軍隊のパレードが始まる。
このシーンは、ドキュメント番組等で引用される際は明るいマーチ音楽は毒々しい音楽に差し替えられ、否定的ナレーションがつけられる。
これらの措置はこの映像に魅了されて、ナチズムへの肯定的印象を持つ危険性を考慮に入れている為だと考えられる。
[編集] 党大会終了演説(ルイトポルトハレ公会堂内)
ナチス幹部入場映像 バーデンヴァイラー行進曲(総統個人行進曲)
ワーグナーのモティーフを使ったニーベルンゲン行進曲(党大会指定行進曲)に合わせて会場内をナチス各団体支部の旗が入場行進
ヒトラーの演説に続きルドルフ・ヘスの演説
ドイツ国歌に続きナチス党党歌「ホルスト・ヴェッセルの歌」斉唱で終了
[編集] 外部へのリンク
- シナリオの英訳 Triumph of the Will
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