抗リン脂質抗体症候群
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抗リン脂質抗体症候群(こうりんししつこうたいしょうこうぐん、Anti-phospholipid antibody syndrome; APS)は自己免疫疾患のひとつ。自己抗体ができることによって、全身の血液が固まりやすくなり、動脈塞栓・静脈塞栓を繰り返す疾患である。特に習慣性流産や若年者に発症する脳梗塞の原因として重要である。特定疾患のひとつであるが、これだけでは公費対象ではない。
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[編集] 歴史
抗リン脂質抗体症候群は、1983年、Harrisらによって報告された比較的新しい疾患概念である。当初は全身性エリテマトーデス(SLE)に合併する疾患として報告されており、ループスアンチコアグラントや抗リン脂質抗体が陽性となって血栓イベントや習慣性流産の原因となるものと定義された。その後、抗リン脂質抗体症候群はSLEがなくても発症することがわかり、これを原発性抗リン脂質抗体症候群と称し、SLEなどの膠原病に合併するものは二次性抗リン脂質抗体症候群と呼ばれることとなった。
[編集] 症状、徴候
[編集] 血栓症
血栓症は、動脈、静脈のいずれにも生じ、全身のどこにでもおきうる。ヒトによって起こる部位に特徴があるといわれているが、そのメカニズムはわかっていない。
- 動脈血栓
- 静脈血栓
- 深部静脈血栓症、脳静脈洞血栓症、下大静脈血栓、バッド・キアリ症候群など
- 一度に複数の部位に同時に多発性の血栓症を起こし、生命の危険のある病型を劇症型抗リン脂質抗体症候群と称する。
[編集] 流産
抗リン脂質抗体症候群は習慣性流産の原因である。胎盤の血管に血栓が起きることによる胎盤梗塞により、胎児に血液が供給されなくなるのが原因と考えられている。
[編集] その他
網様皮斑、リーブマン・サックス心内膜炎、自己免疫性溶血性貧血などを合併することがある。
[編集] 検査所見
- 凝固系
- 活性化部分トロンボプラスチン時間が延長する。
- 自己抗体
- ループスアンチコアグラント、抗カルジオリピンIgGまたはIgM抗体、抗カルジオリピンβ2GPI抗体が陽性となる。
- 血算
- 中等度の血小板減少症を伴うことが多い。
- その他
- 梅毒検査(Serological Test for Syphilis; STS)が陽性となる(生物学的偽陽性、Biological False Positive; BFP)。より梅毒に特異的なTPHA(Treponema pallidum hemagglutination)やFTA-ABS(Fluorescent Treponemal Antibody-ABSorption)が陰性であることが生物学的偽陽性と判断する鍵であるが、梅毒感染初期には同様の検査所見を呈することがあり注意を要する。
[編集] 診断基準
国際的な診断基準が、北海道大学教授の小池隆夫らにより1999年に提唱され、札幌基準と呼ばれている。これは本症を特徴的臨床所見(血栓塞栓症状または習慣性流産)のうちひとつと、特徴的検査所見(自己抗体)のうちひとつを6週間以上の間隔をあけて二回確認されるものとしており、基本的に臨床研究に用いるためにつくられたが現場でも用いられている。2006年、改訂版が提案され、自己抗体確認の間隔が12週間に延長されるなどした。
[編集] 治療
おおまかに2つの臨床症状に対して治療がなされる。下記の臨床症状がでておらず、抗リン脂質抗体(ループスアンチコアグラントも含む)のみが陽性である場合に、治療を行うかどうかはいまだ議論の分かれるところである。
[編集] 血栓症
血栓症の進行を防ぐため、すなわち2次血栓予防のために薬剤が投与される。脳梗塞などの動脈系の血栓であればアスピリンなどの抗血小板薬が使用される。下大静脈血栓や、動脈血栓で効果が足りないときにはワルファリンを投与する。劇症型抗リン脂質抗体症候群に対し、ステロイドやシクロフォスファミドが投与されることがあるが、有効性は明らかとなっていない。
[編集] 流産
低用量アスピリンの内服により流産のリスクは減少する。流産の危険がある場合は持続ヘパリン療法が行われることもある。ステロイドもリスク減少が報告されるが、ステロイド自体も胎児リスクを有する薬剤である点に留意すべきである。
[編集] 予後
重篤な合併症からも予想されるように、本症は生命予後に影響する。全身性エリテマトーデスに本症を合併している患者は、そうでない患者よりも予後が悪い。
[編集] この病気を患う著名人
- 間下このみ(女優・写真家)
- 2006年10月23日、再妊娠とともに「おなかの中で亡くなる赤ちゃんがひとりでも減って欲しい」(オフィシャルホームページの日記より)と病気を公表。その後闘病生活を続け、2007年3月16日、予定日より1ヶ月早く帝王切開により女児(2,155グラム)を無事出産。
[編集] 参考文献
- 抗リン脂質抗体症候群における脳卒中の二次予防についての検討。
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- Levine SR, Brey RL, Tilley BC, et al. Antiphospholipid antibodies and subsequent thrombo-occlusive events in patients with ischemic stroke. JAMA 2004; 291:576–584. PMID:14762036 (APASSスタディ。1440人を対象としたランダム化二重盲検試験。脳卒中二次予防において、アスピリンとワルファリンの効果に有意な差はなかった)
- van Goor MP, Alblas CL, Leebeek FW, et al. Do antiphospholipid antibodies increase the long-term risk of thrombotic complications in young patients with a recent TIA or ischemic stroke? Acta Neurol Scand 2004; 109:410–415.PMID:15147465 (128人を対象としたコホート研究。抗リン脂質抗体は脳卒中再発の危険因子ではなく、抗凝固療法は再発抑制に寄与しなかった)
- 抗リン脂質抗体症候群におけるワルファリンの治療強度についての検討。
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- Crowther MA, Ginsberg JS, Julian J, et al. Comparison of two intensities of warfarin for the prevention of recurrent thrombosis in patients with the antiphospholipid antibody syndrome. N Engl J Med 2003; 349:1133–1138. PMID:13679527 (114人を対象としたランダム化二重盲検試験。ワルファリンの治療目標値をINR 2.0-3.0(通常療法群)とINR 3.0-4.0(強化療法群)にわけたところ、脳卒中の再発率に有意な差はみられなかった)
- Finazzi G, Marchioli R, Brancaccio V, et al. A randomized clinical trial of high-intensity warfarin vs. conventional antithrombotic therapy for the prevention of recurrent thrombosis in patients with the antiphospholipid syndrome (WAPS). J Thromb Haemost 2005; 3:848–853.PMID:15869575 (WAPSスタディ。109人を対象としたランダム化二重盲検試験、やはりワルファリンをINR 2.0-3.0と3.0-4.0の二つの目標値にわけたが脳卒中の再発率に有意な差はみられなかった)