掛川祭
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掛川祭(かけがわまつり)は、静岡県掛川市で10月第2週に行われる祭典。各種の芸能と屋台祭りおよび獅子舞の三つの面で有名。
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[編集] 概要
掛川城下の龍尾神社・神明宮・利神社ほか合わせて7社合同で行われている。
祭礼は3年に1度(数え年で4年に1度。丑・辰・未・戌年)行われる大祭と、それ以外の小祭に分けられる。
日程は体育の日に掛かる10月第二土・日に行われている。なお、大祭の年は月曜日まで行われる。
かつては大祭の年のみに屋台が曳き廻されていたが、戦後は毎年屋台を曳き廻している。
現在でも大祭の年のみ行われる三大余興のうち「瓦町のかんからまち」は、静岡県の無形文化財に指定されている。
遠州地方では多くの地区で10月第2週に祭礼が行われており、掛川市中心部でも駅南地区で独自に祭典が行われているが、単に「掛川祭」という場合、駅北の「掛川城下の祭り」をさす。
[編集] 歴史
獅子と屋台と言う現在の掛川祭の原型が始まったのは定かではないが、宝暦年間(1751年‐1763年)に獅子舞が行われていることと、嘉永2年(1849年)に現存最古の祭り屋台が購入されていることから、少なくとも幕末には現在の原型が始まったと思われる。また祭典の中心の氏神である龍尾神社が古くは天王社であることから、祇園祭との関連性で山車祭りとしての側面がもっと古くからあったと考える見方もある。
[編集] 三大余興
掛川の祭りは各町の出し物「余興」でも知られる。各町参加者が「かっぽれ」「奴さん」「おいとこ」などの舞踊を披露するが、大祭の年だけに披露される特別な余興もある。その中でも有名なものが三大余興である。
- 西町の奴道中……島津家の大名行列をかたどったものといわれ、供奴の大名行列や毛槍の受け渡しが見もの。
- 仁藤の大獅子……重さ300キロの獅子頭が掛川の町内を練り歩く。
- 瓦町のかんからまち……伊勢太神楽系の獅子舞で、3頭の木獅子が舞う。
[編集] 屋台祭りとしての「掛川祭」
掛川の祭り屋台は、俗に「御所車型」と言われている二輪屋台である。ただ、御所車と全く同じ形というわけではなく、屋上には縁側に当たる浜床があり、跳高欄で囲まれ、山車人形が飾られている。ただし、掛川祭は芸能の祭りでもあり、囃子の締太鼓は屋台正面の出高欄で演奏される。そのため遠州の他地域の二輪屋台と比べて出高欄が大きめに作ってある。
平成18年現在、38台の屋台が祭典に参加している。
[編集] 祭囃子
掛川の祭囃子は遠州横須賀の「三社祭礼囃子」の系統であるが、「沖の大船」や「本町二丁目」「六法」などの民謡や小唄・黒御簾なども演奏される。これは、浜松まつり同様、古くから祭りに芸者衆が参加していたためと考えられる。そのため、二輪屋台の祭礼では珍しく三味線も囃子に参加する。
[編集] 手木合わせと徹花
掛川の屋台の名物が、屋台同士のすれ違いの際に行われる手木合わせ(てぎあわせ)と徹花(てっか)である。もともとこれらの風習は狭い道を屋台がすれ違う際に、「お互い無事に屋台がすれ違えました」という意味で手打ちをしたことに始まるが、道路が拡幅された現在でも風習として残っている。
まず2台の屋台がすれ違う際に屋台の手木(てぎ=御所車で牛をつなぐ頸木の部分)を近づけ、これから屋台がすれ違うという確認を両町で行い、拍子木を打つ(このとき両町の囃子は一旦中止)。屋台を通過させて車軸がすれ違う際に「無事通過した」ことを確認すると、再び両町の役員が拍子木を打つ。このときにテンポの速い「徹花囃子」を披露することからこれを徹花(あるいは鉄火)という。
[編集] 獅子の祭り
掛川祭は屋台祭りとしてだけでなく、獅子の祭りとしても有名である。これは三大余興の大獅子・かんからまち以外にも小獅子・木獅子を持つ町があり、獅子舞が祭りの重要な要素であったからである。
小獅子と言っても幌が道路を覆い尽くすほどの大きなもので、現在でも祭典時には屋台の間を小獅子が練り歩く。