斎藤喜博
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斎藤 喜博(さいとう きはく、1911年3月 - 1981年7月26日)は群馬県出身の日本の教育者。昭和を代表する教育実践者。群馬師範卒。小中学校の教師、群馬県教組文化部長を経て、小学校校長となる。群馬県佐波郡境町の島小学校(現・伊勢崎市立境島小学校)で12年、その後、同町立境小学校(現・伊勢崎市立境小学校)で校長を務め、緊張感とドラマのある授業で子どもたちを変えていくということはどういうことかを、自らの教師集団とともに実践。「教えるということ」「子どもを変革するということ」など、今日の教育実践を語るタームの多くが、彼の心血を注いだ教育実践の報告から、生まれている。教授学研究という言い方も、晩年彼が好んで使ったもの。季刊「開く」の編集にも携わった。晩年、宮城教育大学教授をつとめる。彼は歌人でもあり、歌集もある。
その後、教育技術の共有化を目指した向山洋一の最初の教育論は、当初『斎藤喜博を追って:向山教室の授業実践記』(昌平社 1979年)で刊行された。のち改題されている。
また写真家の川島浩は、島小学校の子どもたちの学ぶ姿を撮影し、「未来誕生」と題して発表し、1959年に写真批評家協会新人賞を受賞している。
斎藤喜博全集は、第25回毎日出版文化賞(全18巻、国土社)を受賞した。著書のほとんどが国土社から刊行されている。
[編集] 著書
- 『学校づくりの記』
- 『授業入門』
- 『授業』
- 『一つの教師論』
- 『現代教育批判』
- 『教育の実践とは何か』
- 『教育学のすすめ』筑摩書房