斯波詮高
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斯波 詮高(しば あきたか)は、室町時代後期から戦国時代にかけての戦国大名。高水寺斯波家の当主。
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時代 | 室町時代後期から戦国時代 | |||
生誕 | 文明8年(1476年) | |||
死没 | 天文18年(1549年) | |||
氏族 | 斯波氏 | |||
子 | 斯波経詮、雫石詮貞、猪去詮義 |
そもそも高水寺斯波家は、室町幕府管領家斯波氏の一族で、「斯波御所」、「奥の斯波殿」と呼ばれ、高い家格を誇る名族である。この詮高が当主になるまでの系図は定かではないが、詮高は文明8年(1476年)に生まれた。この詮高は謀略に優れ、雫石に勢力を誇る戸沢氏を攻略し、戸沢氏を雫石から放逐し、嫡男の斯波経詮を後継者とし、雫石城攻略後に次男・雫石詮貞を雫石城に入れ、さらに雫石領内の猪去館に三男の猪去詮高を入れるなどして、家中の結束を固め、高水寺斯波家の全盛期を築き上げた。
天文18年(1549年)に死去。享年74。後を嫡男の経詮が継いだ。