新川県
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新川県(にいかわけん)は、明治時代初期に設置されていた、現在の富山県の一部、後に全域を管轄した県である。
1871年(明治4年)11月20日(旧暦)、第一次府県統合により旧富山県(かつての富山藩の領域。婦負郡全域と新川郡の一部)に旧金沢県(かつての加賀藩の領域)の礪波郡・新川郡を併せて成立した。県庁は富山県時代の新川郡富山から新川郡魚津町(現魚津市)に移され、県名も郡名をとって新川県に改称された。
越中国のうち射水郡のみは七尾県に編入されていたが、1872年(明治5年)9月27日に新川県に編入された。これにより、旧越中国が初めて一つの県となり、現在の富山県の領域と同じになった。その際に、県庁は新川郡富山(現富山市中心部)に戻されたが、県名は新川県のままであった。
1876年4月18日、新川県全域が石川県に編入され、消滅した。1883年5月9日、旧越中国4郡が石川県から再分離され、富山県となった。
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