日刊新愛媛
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日刊新愛媛(にっかんしんえひめ)は愛媛県で発行された県域地方新聞。
高知新聞を母体に「新愛媛」として1960年に創刊したが、高知新聞の経営難から坪内寿夫率いる造船会社・来島どっくがスポンサーとなる。1976年に「日刊新愛媛」に改称。県域新聞で先行する愛媛新聞と販売競争を繰り広げ、一時期は発行部数で凌駕したが、廉売攻勢を続けたほか、紙面を使って坪内と対立する地元財界人や白石春樹県知事・愛媛新聞を誹謗中傷するなど問題化。終には愛媛県が取材拒否に動くなど両者の対立が先鋭化した(取材拒否事件)。
円高不況によって来島どっくが経営悪化すると新聞社の経営をも圧迫し、1986年末を以って休刊された。
これにより、愛媛県を地盤とする地方紙は一紙となった。個人崇拝に近い紙面内容には嫌悪する向きもあったが、一般の読者はそれを分かった上で楽しみにしていた面もある。
[編集] 参考資料
- 宮住冨士夫「県紙の興亡」(自費出版)
- 谷口明生「新聞が消えた!」(風媒社)