日本文化研究所
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日本文化研究所は拓殖大学に併設している研究所のひとつである。
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[編集] 概要
拓殖大学日本文化研究所は、拓殖大学の学部・大学院に関連しない独立した研究所である。明治以降の近代化や戦後の歴史編纂などで掻き消された歴史や文化をもう一度掘り起こし、検証することを目的としている。そして、この研究所で得られた成果を新日本学という一つの学問として、まとめ上げている。
[編集] 出版物
雑誌『新日本学』を季刊(年四回)発行。
[編集] 公開講座
一般市民向け公開講座「新日本学」を毎週火曜日に開講。前期・後期に分かれており、各期ごとに登録が必要。
[編集] 研究施設
建物は、拓殖大学国際教育会館内の別館研究所棟にある。この建物には、海外事情研究所も併設されており、建物全体で国内外の政治、経済、文化等の研究施設としての役割を担っている。
拓殖大学以外にも日本文化研究所を設置している大学が國學院大学、近畿大学、京都産業大学にも設置されている。これらの研究所の研究内容は、神道や歴史、文化を研究する事を主眼としている。
[編集] 沿革
1987年(昭和61年4月)「現代文明に変り得る、新たな文明の核としての日本を研究する機関」として設立。当時は、日本文化研究室という名称だった。研究室という名称からもわかるように、研究員は所長と客員研究員3人。そして、各学部・大学院に所属する教員が兼務するという形が取られた。 1994年(平成9年4月)「建学の精神に則って我が国と世界の学術と平和に寄与する研究機関」へと設立の目的が変更され、研究室も研究所へ昇格する。紀要も大きく変更された。内容も研究所に昇格以来テーマが「アイデンティティの探求」という一点に絞った研究がされている。 1998年(平成10年8月)には、日本文化研究所付属近現代研究センターが設立された。台湾との共同研究「後藤新平・新渡戸稲造事跡国際検討会」の参加や学術検討会などへの参加。また、拓殖大学旧台北分校調査などが行われた。韓国でも拓殖大学旧京城分校の調査が行われた。
[編集] 組織
[編集] 付属施設
- 近現代研究センター
[編集] 教職員
[編集] 研究所所長
- 井尻千男(教授/昭和精神論、総合社会学的都市論/新しい歴史教科書を作る会顧問)
[編集] 教授
- 藤岡信勝(自由主義史観研究会会長/新しい歴史教科書を作る会副会長/社会科教育)
[編集] 客員教授
- 石井昌浩(元国立市教育長/新しい歴史教科書を作る会理事/教育学)
- 遠藤浩一(新しい歴史教科書を作る会理事/政治学)
- 黄文雄(評論家/台湾、中国、朝鮮研究)
- 城内実(前衆議院議員)
- 高森明勅(日本文化総合研究所代表/神道学者)
- 藤井厳喜(ケンブリッジ・フォーキャスト・グループ代表取締役/国際関係論)
- 宮崎正弘(評論家、作家/三島由紀夫研究、台湾、中国研究)
- モロジャコフ・ワシーリ(日本研究)