藤岡信勝
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藤岡 信勝(ふじおか のぶかつ、1943年10月21日 - )は教育学者、評論家。北海道川上郡標茶町生まれ。自由主義史観研究会代表。
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[編集] 略歴
北海道大学教育学部卒、同大大学院教育学研究科博士課程単位取得退学。社会科教育法が専門。
名寄女子短期大学(市立名寄短期大学・名寄市立大学)講師、北海道教育大学助教授、東京大学教育学研究科学校教育開発学コース助教授、教授を経て、現在拓殖大学日本文化研究所教授。
2006年2月28日から同年3月28日まで新しい歴史教科書をつくる会の副会長補佐を福地惇と共に務める。しかし同年3月29日八木秀次の副会長就任と替わる形で福地と共に副会長補佐を解任された。2006年4月30日種子島経会長、八木秀次副会長の辞任に伴い、福地と共に「つくる会」の副会長に就任。現在に至る。
[編集] 「自由主義史観」の提唱
東大在職中、教育科学研究会(教科研)理事を務めていた藤岡は、冷戦終結後の新しい日本近代史観確立の必要性を感じ、司馬遼太郎の著作や渡米体験を通じて、旧来の左右双方のどちらにも与しない「自由主義史観」の構築を提唱し、一部の民間教育団体で同様の飽き足りなさを感じていた教員と共に自由主義史観研究会を設立した。藤岡らの提唱は大きな反響を呼び、賛否両論の議論が活発化した。
[編集] 保守系言論人への転身
湾岸戦争以前まで日本共産党員であり、講演活動を活発に行っていたが、ソ連崩壊と共に共産党を離れ、思想的にも社会主義を真向から否定する姿勢に転向した。湾岸戦争の時の日本の採った態度一国平和主義に平和運動の限界を感じ、保守陣営に身を投じるようになった。転向以前は、政治的教育的に現代の彼の正反対の立場にある歴史教育協議会(歴教協)の会員でもあった。
なお、東大の教員の間では、アメリカ留学時代に英語が通じなかったことが藤岡の劣等感を生み、独自の強硬路線を主張する契機となったと見ている。
藤岡が脚光を浴びたのは1996年。「自由主義史観」の是非を巡る議論が交わされていた最中に、藤岡は内部での議論を殆どしないまま研究会名義で「従軍慰安婦の記述を中学校教科書から削除せよ」との声明を発表した。これに反撥した会設立当時からのメンバーの大半が離反し、その一方保守系の人士が大挙して参入してきたため、研究会は保守系の団体に「純化」し、藤岡の交流範囲もそれに限定されていった。保守イデオローグとしての立場を鮮明にした後の藤岡は、当初掲げていた歴史観の自由交流の提言を放棄し、歴史の教科書を「自虐史観」に毒されていると批判する一方、「大東亜戦争肯定史観」に対する批判は全く聞かれなくなり、事実上それを支持する立場に立った。司馬遼太郎の歴史観に触れることも殆どなくなった。「自由主義史観」が単に「大東亜戦争肯定史観」の一類型にすぎないと見られるようになったのは、このような藤岡の振る舞いによるところが大きいと言えよう。
「新しい歴史教科書をつくる会」元・名誉会長西尾幹二によると、情熱が知性より先走るタイプであるが、肝心のところでは、意気地が無く、将たる器ではないとされる。実際、八木秀次副会長の下では、「つくる会」の評議会で、公然と面罵されるがままであったらしい。もっけの幸いの怪文書事件で、八木が副会長を辞任することなり、彼が現副会長職にあるが、既定路線どおり八木が会長に昇進していれば、彼の昇進は無かったであろうとされる。
東大を退職すると、益々反左翼として言論活動を活発に行なっていく。
1996年に西尾幹二らと共に新しい歴史教科書をつくる会を設立。『教科書が教えない歴史』は全4巻で120万部を超えるベストセラーとなった。
[編集] ジー・オーグループとの関わり
1997年頃にジー・オーグループの大神源太社長から社員研修に講演の依頼があり、藤岡の著作に心酔していた大神と意気投合。それ以来、グループが発行する広報誌や機関紙に藤岡は連載を持っていたが、2002年にグループによるマルチまがい商法の被害が問題化し、グループは経営破綻。被害者弁護団は藤岡に対し、藤岡にもグループの悪徳商法に加担した責任の一端があると提訴した。これに対し、藤岡は「勧誘のための広報誌とは知らなかった」と弁解すると共に訴訟を政治的なものであると反論、徹底的に争う姿勢を見せた。
[編集] 著作
- 『近現代史教育の改革:善玉・悪玉史観を超えて』明治図書、1996年
- 『「自虐史観」の病理』文藝春秋、2000年
- 『汚辱の近現代史』徳間書店、2001年
- 『社会科で「地域」を教える往復書簡による授業研究』明治図書出版、1989年(歴教協時代のもの)
[編集] 関連項目
- 南京の真実(南京大虐殺虚構論を唱える映画、藤岡も賛同者の一人)
[編集] 外部リンク
- 藤岡信勝プロフィール 東京大学在職時のもの。
- 藤岡信勝のネット発信局 公式ブログ