服部一忠
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
服部 一忠(はっとり かずただ、生年不詳 - 文禄4年(1595年)7月)は、戦国時代・安土桃山時代の武将。通称は小平太(こへいた)、采女正(うねめのかみ)。名は春安あるいは忠次とも言うが、むしろ服部小平太の名で有名である。
尾張出身。はじめ織田信長に馬廻として仕え、1560年の桶狭間の戦いにおいて今川義元に一番槍をつける戦功をあげた(服部は義元の反撃を受けて膝を斬られたので、首級を挙げたのはそこに助太刀に入った毛利新助である)。
桶狭間以降は織田家配下として目立った活躍は知られていない。1582年の本能寺の変ののち再び馬廻として豊臣秀吉に仕えて黄母衣衆の一員となり、諸戦に従軍。従五位下采女正の官位に叙せられ、小田原の役の戦功により1591年、会津若松城に転封された蒲生氏郷の旧居城松阪城の城主に抜擢されて伊勢国一志郡に3万5000石を与えられた。
しかし、豊臣秀次に付属されて奉行を務めていたために、1595年の秀次失脚に連座して所領を没収され、上杉景勝に預けられた後、切腹を命じられた。
[編集] 関連項目
- 小説
- 桶狭間の勇士-文芸春秋、中村彰彦著