木曽五木
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木曽五木(きそごぼく)とは江戸時代に尾張藩により伐採が禁止された木曽谷の木。ヒノキ・アスナロ・コウヤマキ・ネズコ(クロベ)・サワラの五種類の常緑針葉樹林のことを指す。木曽節にも唄われている。
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[編集] 背景
古くより木曽の山は建築材として貴重な木材を数多く産出していたが、関ヶ原の戦い後の江戸時代の初期、城郭・城下町・武家屋敷・造船などの建設によって森林の伐採が進み、山々は荒廃してしまった。そこで、木曽の山を管理していた尾張藩により森林の保護政策が行われ、ヒノキの伐採が禁止された。後に、誤伐採を防ぐため、似たアスナロ、サワラと、重要なコウヤマキの伐採が禁止され、さらに、ネズコが追加された。「木一本、首一つ」ともいわれるほどの厳しい政策の「留山制度」がとられた。その際伐採が禁止され、保護された五種類の樹木を木曽五木という。しかし、厳しい保護政策にも関わらず山の荒廃は止まらず、さらに尾張藩はクリ・マツ・カラマツ・ケヤキ・トチ・カツラにも保護指定をし、伐採禁止の地域や樹種を拡大させることによって、森林の保護に努めた。その結果、美しい山を取り戻すことになった(木曽五木に、ケヤキを加え、木曽六木とする場合もある)。
このような政策は、山々の荒廃に悩んでいた全国の藩の模範となり、各藩の政策に採用されていった。
[編集] 現在
尾張藩の政策のおかげで、今でも木曽の山々はこの木曽五木が主体となった美しい山々が形成されており、木曽五木は特産品のブランドとなっている。
[編集] 歴史
- 1665年(寛文5年) 留山(赤沢自然休養林一帯)・巣山の立入りを禁止する
- 1708年(宝永6年) 木曽谷全域にわたりヒノキ・サワラ・アスナロ・コウヤマキの四木の伐採が禁止される
- 1718年(享保13年) さらにネズコを加えた五木の伐採を禁止する