木梨軽皇子
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木梨軽皇子(きなしのかるのみこ)は第19代天皇であった允恭天皇の第一皇子、皇太子であった。母は皇后の忍坂大中津比売命(おしさかのおおなかつのひめのみこと)。同母弟に穴穂皇子(あなほのみこ、後の安康天皇)、大泊瀬稚武皇子(おおはつせのわかたけるのみこ、後の雄略天皇)など。
『古事記』によれば、允恭23年立太子するも、同母妹である軽大娘皇女(かるのおおいらつめ)と情を通じ(近親相姦)、それが原因となって允恭天皇の崩御後に失脚、伊予の国へ流される。その後、あとを追ってきた軽大娘皇女と共に自害したと言われる。(衣通姫伝説)
『日本書紀』では、情を通じた後の允恭24年に軽大娘皇女が伊予へ流刑となり、允恭天皇が崩御した允恭42年に穴穂皇子によって討たれたとある。