允恭天皇
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允恭天皇(いんぎょうてんのう、男性、生年不詳 - 允恭天皇42年1月14日(453年2月8日))は第19代の天皇(在位:允恭天皇元年(412年)12月 - 同42年(453年)1月14日)。雄朝津間稚子宿禰尊(おあさづまわくごのすくねのみこと)、男浅津間若子宿禰王(古事記)。中国の歴史書『宋書』・『梁書』に記される倭の五王中の倭王済に比定されている。
目次 |
[編集] 系譜
仁徳天皇の第四皇子。母は葛城襲津彦の女・磐之媛命(いわのひめのみこと)
履中天皇、反正天皇の同母弟。
[編集] 皇居
都は遠飛鳥宮(とおつあすかのみや、現在の奈良県高市郡明日香村飛鳥か)。
[編集] 略歴
- 『日本書紀』に拠る。
反正天皇5年(410年)1月、反正天皇が皇太子を定めずして崩御したため、群臣達が相談して雄朝津間稚子宿禰尊を天皇(大王)に推挙する。尊は病気を理由に再三辞退して空位が続いたが、允恭天皇元年(412年)12月、忍坂大中姫の強い要請を受け即位。
3年(413年)8月、新羅から医者を招聘、天皇の病気を治療する。
4年(415年)9月、諸氏族の氏姓の乱れを正すため、飛鳥甘樫丘にて盟神探湯(くがたち)を実施する。
5年(416年)7月、玉田宿禰(葛城襲津彦の孫)の叛意が露顕、これを誅殺する。
7年(418年)12月、皇后の妹・衣通郎姫を入内させるが、皇后の不興を買い、藤原宮(奈良県橿原市)に住まわせる。
8年(419年)2月、衣通郎姫が皇后の嫉妬を理由に茅渟宮(ちぬのみや、大阪府泉佐野市)へ移る。
天皇は遊猟にかこつけて郎姫の許に行幸を続けたが、10年(421年)皇后に諌められ、その後の茅渟行幸は稀になった。
24年(435年)6月、皇太子の木梨軽皇子と同母妹の軽大娘皇女の近親相姦が発覚。軽大娘皇女を伊予に配流(→衣通姫伝説)。
42年(453年)1月、崩御。新羅王はこれを悲しみ、弔使を送る。『古事記』に78歳、『日本書紀』北野本に81歳。
[編集] 允恭天皇豪族出身説
允恭天皇の名には奇妙な点が存在する。すなわち、雄朝津間稚子宿禰尊(おあさづまわくごのすくねのみこと)に「宿禰」という皇族(王族)らしからぬ敬称が混ざっていることである。宿禰(足尼とも書く)の称号は4世紀から6世紀にかけて、しばしば(王族ではない)有力豪族の名に下接して使われていた(例:野見宿禰・武内宿禰・多加利足尼など)。このことから、允恭天皇も元来は葛城(奈良県御所市)出身の地方豪族で、反正天皇の崩後に皇位を簒奪したのではないかと見る説が存在する。允恭天皇の即位が円滑に行われなかったらしいこと、また『宋書』に倭王済(允恭)と倭王珍(反正に比定される)の血縁関係を記していないことが傍証として挙げられるが、皇位簒奪を肯定する決定的な史料及び根拠は無い。それゆえ、豪族出身を肯定しつつ、簒奪は否定する折衷説もある。
[編集] 陵墓・霊廟
恵我長野北陵(えがのながののきたのみささぎ)に葬られた。大阪府藤井寺市国府1丁目にある国府市野山古墳(前方後円墳・全長228m)に比定されている。
[編集] 在位年と西暦との対照表
允恭天皇 | 元年 | 2年 | 3年 | 4年 | 5年 | 6年 | 7年 | 8年 | 9年 | 10年 |
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西暦 | 412年 | 413年 | 414年 | 415年 | 416年 | 417年 | 418年 | 419年 | 420年 | 421年 |
干支 | 壬子 | 癸丑 | 甲寅 | 乙卯 | 丙辰 | 丁巳 | 戊午 | 己未 | 庚申 | 辛酉 |
允恭天皇 | 11年 | 12年 | 13年 | 14年 | 15年 | 16年 | 17年 | 18年 | 19年 | 20年 |
西暦 | 422年 | 423年 | 424年 | 425年 | 426年 | 427年 | 428年 | 429年 | 430年 | 431年 |
干支 | 壬戌 | 癸亥 | 甲子 | 乙丑 | 丙寅 | 丁卯 | 戊辰 | 己巳 | 庚午 | 辛未 |
允恭天皇 | 21年 | 22年 | 23年 | 24年 | 25年 | 26年 | 27年 | 28年 | 29年 | 30年 |
西暦 | 432年 | 433年 | 434年 | 435年 | 436年 | 437年 | 438年 | 439年 | 440年 | 441年 |
干支 | 壬申 | 癸酉 | 甲戌 | 乙亥 | 丙子 | 丁丑 | 戊寅 | 己卯 | 庚辰 | 辛巳 |
允恭天皇 | 31年 | 32年 | 33年 | 34年 | 35年 | 36年 | 37年 | 38年 | 39年 | 40年 |
西暦 | 442年 | 443年 | 444年 | 445年 | 446年 | 447年 | 448年 | 449年 | 450年 | 451年 |
干支 | 壬午 | 癸未 | 甲申 | 乙酉 | 丙戌 | 丁亥 | 戊子 | 己丑 | 庚寅 | 辛卯 |
允恭天皇 | 41年 | 42年 | ||||||||
西暦 | 452年 | 453年 | ||||||||
干支 | 壬辰 | 癸巳 |
[編集] 関連項目
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歴代天皇一覧 | |||||||||
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1 神武 | 2 綏靖 | 3 安寧 | 4 懿徳 | 5 孝昭 | 6 孝安 | 7 孝霊 | 8 孝元 | 9 開化 | 10 崇神 |
11 垂仁 | 12 景行 | 13 成務 | 14 仲哀 | 15 応神 | 16 仁徳 | 17 履中 | 18 反正 | 19 允恭 | 20 安康 |
21 雄略 | 22 清寧 | 23 顕宗 | 24 仁賢 | 25 武烈 | 26 継体 | 27 安閑 | 28 宣化 | 29 欽明 | 30 敏達 |
31 用明 | 32 崇峻 | 33 推古 | 34 舒明 | 35 皇極 | 36 孝徳 | 37 斉明 | 38 天智 | 39 弘文 | 40 天武 |
41 持統 | 42 文武 | 43 元明 | 44 元正 | 45 聖武 | 46 孝謙 | 47 淳仁 | 48 称徳 | 49 光仁 | 50 桓武 |
51 平城 | 52 嵯峨 | 53 淳和 | 54 仁明 | 55 文徳 | 56 清和 | 57 陽成 | 58 光孝 | 59 宇多 | 60 醍醐 |
61 朱雀 | 62 村上 | 63 冷泉 | 64 円融 | 65 花山 | 66 一条 | 67 三条 | 68 後一条 | 69 後朱雀 | 70 後冷泉 |
71 後三条 | 72 白河 | 73 堀河 | 74 鳥羽 | 75 崇徳 | 76 近衛 | 77 後白河 | 78 二条 | 79 六条 | 80 高倉 |
81 安徳 | 82 後鳥羽 | 83 土御門 | 84 順徳 | 85 仲恭 | 86 後堀河 | 87 四条 | 88 後嵯峨 | 89 後深草 | 90 亀山 |
91 後宇多 | 92 伏見 | 93 後伏見 | 94 後二条 | 95 花園 | 96 後醍醐 | 97 後村上 | 98 長慶 | 99 後亀山 | 100 後小松 |
北朝 | 1 光厳 | 2 光明 | 3 崇光 | 4 後光厳 | 5 後円融 | 6 後小松 | |||
101 称光 | 102 後花園 | 103 後土御門 | 104 後柏原 | 105 後奈良 | 106 正親町 | 107 後陽成 | 108 後水尾 | 109 明正 | 110 後光明 |
111 後西 | 112 霊元 | 113 東山 | 114 中御門 | 115 桜町 | 116 桃園 | 117 後桜町 | 118 後桃園 | 119 光格 | 120 仁孝 |
121 孝明 | 122 明治 | 123 大正 | 124 昭和 | 125 今上 | ※赤字は女性天皇 |