本多康直
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
本多 康直(ほんだ やすなお、1856年5月15日(安政3年4月12日) - 1900年(明治33年)1月29日)は明治期の官僚。日本法律学校(現在の日本大学)の創設に参画。大審院判事。伊勢神戸藩第7代藩主本多忠寛の子として江戸で生まれる。のち近江膳所藩主本多康穣の養子。
[編集] 経歴
- 1874年(明治7年)11月 私費留学生としてドイツへ渡航。ゲッチンゲン大学でドイツの司法制度の研究を行い、ドクトルの学位受領。
- 1882年(明治15年) 三好退蔵のもとで、伊藤博文の憲法調査に従事。
- 1883年(明治16年) 2年間の学資の官費支給を認められる。
- 1885年(明治18年)7月 帰国。
- 1886年(明治19年) 従五位。司法省民事局参事官。法律取調委員として裁判所構成法・民事訴訟法などの調査・起草に従事。
- 1889年(明治22年)10月4日 日本法律学校(現在の日本大学)の創設に参画。
その後、大審院判事に就任。
[編集] 単著書
- 『民事訴訟法講義』日本法律学校臨時科外講義(明治24年)