本多忠知
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時代 | 江戸時代後期 | |||
生誕 | 天明7年(1787年)9月 | |||
死没 | 天保10年3月14日(1839年4月27日) | |||
墓所 | 東京都墨田区向島の弘福寺 | |||
官位 | 従五位下、河内守、弾正少弼 | |||
藩 | 陸奥泉藩主 | |||
氏族 | 本多氏 | |||
父母 | 父:本多忠誠、母:板倉勝暁の娘 | |||
妻 | 正室:榊原政敦の娘 | |||
子 | 本多忠徳、本多忠紀 娘(酒井忠良正室のち京極高行正室) 娘(大久保忠邦正室)、娘(井上正員正室) 娘(岡田善宝正室)、娘(仙石久祇正室) 娘(石川総詮正室)娘(小出英照室) 娘(遠山景明室) |
天明7年(1787年)9月、陸奥国泉藩3代藩主・本多忠誠の長男として生まれる。文化12年(1815年)7月5日、父の隠居により家督を継いで第4代藩主となる。天保7年(1836年)11月5日、三男・忠徳に家督を譲って隠居した。天保10年(1839年)3月14日に死去。享年53。
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