本田明彦
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本田明彦(ほんだ・あきひこ、1947年生)は日本のプロボクシングのプロモーター。東京都出身。帝拳プロモーション会長。立教高校~立教大学卒業
高校の同級生に小川敏夫。高校3年(17才)だった1965年7月3日実父の本田明が逝去し、後継会長に就任(当時入門間もない練習生に明彦の2歳下で義務教育修了して間もない二木の菓子店員大場政夫)。当初はマネージャー長野ハルの庇護を受けていたが、現在では実質的に日本プロボクシング界を牛耳る存在で恵まれた語学力(※特に英語とスペイン語が堪能)・人脈・戦略・資金力で世界のドン・キング、ボブ・アラム、オスカー・デラホーヤら大物プロモーターたちと対等に渡り合い「本田天皇」とも呼ばれる。
日本テレビとのタイアップで全盛期のマイク・タイソンを2度招聘し東京ドームでWBA・WBC統一世界ヘビー級タイトルマッチを開催。