東京ドーム
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東京ドーム | |
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Tokyo Dome , The BIG EGG | |
施設統計 | |
所在地 | 東京都文京区後楽一丁目3番61号 |
起工 | 1985年5月16日 |
開場 | 1988年3月18日 |
所有者 | 株式会社東京ドーム |
グラウンド | 人工芝(フィールドターフ) |
照明 | 照明灯 - 14ヶ所 照度 - バッテリー間:2700ルクス |
建設費 | 約350億円 |
設計者 | 竹中工務店、日建設計 |
建設者 | 竹中工務店 |
使用チーム、大会 | |
読売ジャイアンツ(開場~現在) 、 日本ハムファイターズ(開場 - 2003年、 2004年以降は準本拠地として使用)、 都市対抗野球大会(開場・第59回大会 - 現在) |
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収容能力 | |
45,600人 | |
規模 | |
両翼 - 100 m (約328.1 ft) 中堅 - 122 m (約400.3 ft) |
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フェンスの高さ | |
4 m (約13.1 ft) |
東京ドーム(とうきょうドーム)は、日本の東京都文京区後楽にある、日本初のドーム型野球場。株式会社東京ドームが運営している。愛称はBIG EGG(ビッグエッグ)であるが、近年はあまり使用されない。
目次 |
[編集] 概要
老朽化した後楽園球場に代わり、1988年に開場した。日本プロ野球の読売ジャイアンツ(巨人)の本拠地、北海道日本ハムファイターズの準本拠地。また、ワールド・ベースボール・クラシックのアジアラウンド(2006年)やアジアシリーズなどの国際試合、日米野球などの親善試合も東京ドームで開催されることが多い。アマチュア野球では、社会人野球・都市対抗野球大会が毎年開催されている。さらに野球のほかにも格闘技・プロレスの興行やコンサート、商品の展示会なども行われる多目的ドームである。ただ、天井が高いため音の反射が悪く、ワンテンポ遅れて音が響くので、コンサートには不向きな会場である。ちなみに、こけら落とし公演は、美空ひばりが行っている。
屋根は空気膜構造と呼ばれるもので、内部の空気圧を外部よりも0.3%(3ヘクトパスカル)だけ高くして膨らませている。圧力差を維持するために出入り口に手動式回転ドアやエアロックが設置されている(ドア開放は空気が抜けてしまうので出来ない)。ドームから外に出る際、回転ドアで気圧のため外に吸い出されるような感じになる。また、隣接する小石川後楽園の日照に配慮するため、屋根の高さが外野方面に向かって低くなっていくように設計されている。 2002年から「フィールドターフ」と呼ばれる新型人工芝を、日本の野球場で初めて採用した。天然芝に近い感触の特殊な繊維とクッション材を採用し、選手の負担を軽減できる工夫を凝らした。 ドームの広さは約216メートル四方で、建物・場所などの広さ・大きさを表現する際に日本(特に東日本)ではよく「東京ドーム何個分」という表現が使われる。 2007年の大改修で喫煙コーナーを廃止し、完全に煙の漏れない喫煙室を新設し、ドーム球場での完全分煙を実現した。
[編集] 設備
[編集] フィールド
両翼100メートル(実測95mほど)・中堅122メートル。国際基準に適合した広さで設計され、敷地面積の都合で(両翼の直線距離が狭い甲子園などとは対照的に)左中間・右中間が狭く「扇型」と形容される形状をしている。 左中間・右中間がほぼ直線状でふくらみがないためホームランが出やすいが、前身の後楽園球場よりははるかに広い。これまで西武球場を除き、両翼90m前後の球場がほとんどだった日本では(阪神甲子園球場のようにラッキーゾーンを使用して意図的に狭くしていた球場もあったほど)は大型化の傾向へすすむこととなった。
- ホームランの出やすさの理由は、左中間・右中間の狭さ以外にも空気膜構造の屋根だとも考えられている。これは「空気膜構造式では内部空気圧が高いため。」「900グラムのバットで140キロのボールを打てる選手が同じ条件で1000グラムのバットで150キロのボールを打てる球場」などと例えられることが多いが、「同じ条件で空気抵抗が大きくなるため、ホームランが出にくい球場」という反論も存在する。また、外野フェアゾーン側の客席が極端に少ないため、ホームランが最上段の看板へ直撃した時点での距離が「特大ホームランの放物線の下りはじめ」程度でまだそれ程の距離ではないなど実際の距離も短い部分も存在する。
- 巨人1チームに限って説明すると、原辰徳など中距離バッターを並べた当時の巨人のバッターは88年以降は軒並み本塁打数を落とし、90年代前半までは極端な投手力のチームとなっていた。しかし90年代中盤、巨人が主軸に成長した松井秀喜など大型選手をオーダーに並べたこととボールの進化等で、東京ドームは巨人にとって相対的に「特に広いわけではない」球場になり、看板直撃弾が試合の華となった。そして現在のセリーグでは「ナゴヤドーム、甲子園以外はホームランが出やすい球場」と認識される傾向になっている。また2005年は2004年とほぼ同じメンバーにも関わらず看板直撃弾が激減しているため、90年代終盤?~2004年までセリーグで採用されていた飛ぶボールの影響も指摘されている。
- また日本ハムに限って説明すれば、福岡ドームなどパリーグの大型化した球場の中では、東京ドームは一回り狭い球場となっている。2003年には打率.360,31HRを記録している小笠原道大が札幌ドームに本拠を移した2004年は打率.345,18HRに若干成績を落としている(13本の外野フライがホームランになっていたとすると.358,前年とほぼ同じ打率になる。また、小笠原はこの年、アテネオリンピック代表だった事もあり出場試合数は減っていた)。
[編集] 屋根・天井
- 完成直前の東京ドームをテレビの収録で訪れた長嶋茂雄が「この天井にボールをぶつける事は無理でしょう」と話したが、開場した1988年の7月4日に阪急ブレーブスのダラス・ウィリアムズが当てたのを皮切りに、読売ジャイアンツの原辰徳や松井秀喜、西武のアレックス・カブレラらが、天井に吊り下げられている照明機器、スピーカーなどに当てている。実際に建設の際には打球が屋根に当たらないようにこの高さに設定された(天井に当たった打球の扱いは後述)。
- 開場当時、天井にはテレビカメラが備え付けられていた。その映像は、野球中継だけでなくNHK・民放各局の夜のスポーツ速報番組などに使われていた(2007年現在、天井カメラがあるかどうかは、不明)。
- ドームの屋根の間には少々の隙間があり、隙間に入れるとエンタイトルツーベースとなる。2002年に松井秀喜が「幻のドーム場外」を記録した。このボールは2日後に見つかり、現在、野球体育博物館に保存されている。
- 2005年7月30日の中日ドラゴンズ戦で、通算350号本塁打まで残り1本と迫っていた江藤智が本塁打性の特大飛球を放ったが、打球は屋根に当たりグラウンドに落下。中日の英智左翼手に捕球され、350号は幻となった(通算350号は西武へ移籍した翌年4月15日に達成)。
- 中でも1990年6月6日の日本ハムファイターズ対近鉄バファローズ戦で近鉄のラルフ・ブライアントが日本ハムの角盈男から打った打球をセンター守備位置上空にあるメインスピーカーに直撃させ、認定ホームラン第1号を記録した。しかしその後この認定ホームランを打った選手は現れていない。なおこれをきっかけに、東京ドームではスピーカーに当てた認定ホームランを記録した選手に対してスピーカーの提供メーカーより賞金300万円を贈呈することにしている(メインスピーカーのみ)
[編集] 座席
基本的に座席の色は青。2005年から内野一・三塁側のファウルゾーンにフィールドシート(エキサイトシート)を開設した。
- この座席はプロ野球を開催する場合のみ使用され、アマチュア野球では使用されない。
- この座席を利用する観客へは防御用のヘルメットとグローブが貸し出される。ヘルメットは必ず着用しなければならない。
- エキサイトシート内には売り子が入ることができない。但し、入口際のネット越しに購入することが可能である。
- エキサイトシートは、巨人主催ゲームについては年間予約席と一般指定席の2種類が設定され、一般席は抽選で販売される。ただし、座席数が非常に少ないため抽選は毎回高倍率となる。
また、左翼スタンド右側の一部を巨人の応援席にした「レフト側巨人応援席」を設定しているため、ビジターファンと巨人ファンの外野の座席比率はおよそ4:6になっている。これは、ライト側に入れない巨人ファンがレフトのライト側寄りで応援していたことと、レフト側でビジターチームを応援する客が少なかったことなどから、設定された席種だと考えられる。ただし、阪神戦では、レフト側で阪神を応援するファンの絶対数が多いことと、巨人と阪神のファン同士での争い事の発生を避けることなどを理由に「レフト側巨人応援席」は設定されていない。
社会人野球の都市対抗、プロ野球のアジアシリーズが開催される期間中には、一・三塁側スタンド最前列に応援団の特設ステージが設けられる。
[編集] 広告看板
バックネットのフェンス広告は2004年から電動により広告パターンを複数出せるようになっている。巨人戦時はJA共済、大正製薬等の企業が、日本ハム戦時はタマホームが広告を出している(タマホームは巨人戦でも広告を出すことがある。ただ、最近はタマホームのみの場合が多い)。2005年からはモノクロ広告からカラー広告が中心になる。2006年の都市対抗社会人大会のときは毎日新聞社や東京ドームグループ施設が広告を出していた。
バックネットのフェンス広告は、東京ドーム開業時から1996年までは資生堂(後楽園球場時代の1985年から)、1997年から2003年まではマツモトキヨシ、JT、アース製薬、杏林製薬、サントリー、NTTコミュニケーションズ、プロミスなどの企業が、2004から2005年には大塚商会、東京メトロ(最寄り駅が同社の運営する丸ノ内線の後楽園駅のため)、日産自動車、ジャックスカードなどが出していた。オールスターゲームが開催される場合は、オールスターのスポンサーである三洋電機の広告になっていたが、2006年シーズン終了後、三洋電機がスポンサーを降りたため、2007年からは、中古車販売業大手のガリバーインターナショナルに決定した。なお、東京ドームでのオールスターはこれまで1988、1991、1993、1996、2000、2002年に開催されたことがある。次回開催は2007年の予定。
外野フェンス広告は2007年シーズン現在、レフトから順にサントリー(モルツ)、松下電器産業(Panasonic)、ホクレン、コナミ、日研総業、富国生命(フェンス表記はフコク生命)、コニカミノルタ、キヤノン、積水ハウス 、カシオ計算機、クボタ(後楽園球場時代の1984年から)、日本興亜損保、オープンインタフェース、大和証券となっている。前身の後楽園球場時代から残っているのは、サントリー、松下電器、富国生命、コニカミノルタ、クボタ、日本興亜損保、大和証券の7社である。
外野には11枚(左翼6枚、右翼5枚。開設当初は9枚…左翼5枚、右翼4枚)の巨大看板が設置されている。プロ野球開催時にこの巨大看板に直撃するホームランを打った選手に対して「東京ドーム・ビッグボードホームラン賞」として100万円の賞金、またはそれに相当する商品(自動車など)が贈呈される。ただし巨人が出場した際の日本シリーズでは、ポストシーズン・ゲームのため、看板に当たるホームランが出ても、賞金、賞品は出ない(詳しくは東京ドームHP・ビッグボードホームラン賞一覧参照)。 ビッグボード広告は2007年現在、セコム、キリンビール、東京電力、大塚製薬(オロナミンC)、日産自動車、明治乳業(明治ブルガリアヨーグルト)、日興コーディアル証券、ヘーベルハウス、パイオニアなど。
かつてはライト側の柱広告に直撃するホームランを打った選手には300万円の賞金が贈呈されていたが、契約終了により2006年にこの制度が廃止。広告が撤去された。
東京ドームでは現在、消費者金融の会社の広告を一切出していない。これは以前、近鉄バファローズが消費者金融のアコムとスポンサーの契約を新たにを結び、ヘルメットに同社名を入れたことについて、渡邉恒雄が「プロ野球の品位を汚す。消費者金融の広告など、子供に見せられない。東京ドームは、消費者金融の広告は一切ない。」と痛罵した。しかし実際には、その発言をした時には東京ドームでも消費者金融の広告は出されていた。その後ペナントリーグが終了し、次年度の広告掲載の契約更新の際、東京ドームより広告を出していた消費者金融の会社へ、「来年の広告掲載の更新は見送って欲しい。状況を理解して欲しい。」と言い更新を行なわない旨を通達。広告を出していた会社も了承し、その次の年から消費者金融の広告は一切排除された。
[編集] 放送席
ネット裏の放送席の配置は、三塁側から順に東京ケーブルネットワーク、ニッポン放送、ラジオ日本、日本テレビ、文化放送、TBSラジオ、6局共用ブース(北海道放送・中部日本放送・日経ラジオ社・RKB毎日放送・朝日放送・毎日放送)となっている。
放送席に入るためには一度コンコースを通らなければならず、観客が解説者などにサインをねだる光景がみられる。中継ゲストに有名芸能人が登場した際(日本テレビの番組宣伝が多い)には試合終了後、放送席裏のコンコースに人だかりができて、かなりの混乱が発生する。
[編集] スコアボードの変遷
1988年の完成時、スコアボードは、バックスクリーン側の三菱電機製白黒2色の「スコアボード」とフルカラー表示の「オーロラビジョン」、バックスタンド上部にある白黒2色のサブボード(スコア表示のみ)だった。
オーロラビジョンは1990年にハイビジョンサイズへ変更、さらに1999年に全面改修された。2001年にはサブボードも三菱電機製のフルカラー表示の全面オーロラビジョンに全面改修された。
2003年にスコアボード部が改修され、ホームラン時の映像パフォーマンス(ホームチームのみ)が上半分の表示から全画面表示になった。そして、各選手の打率(AV)、ホームラン(HR)表示に打点(RBI)が加わった。2004年のシーズン途中からは、サブボードの球速表示部分にも打席の選手名、打率(AV)、ホームラン数(HR)が表示されるようになった。球速表示はその下に表示される。
2005年にはバックスクリーン側のスコアボードとオーロラビジョンの全面改修が行われ、フルカラーLED表示の全面オーロラビジョンになった。従来のものと違い、両チームのメンバーを上から下へ縦表示になり、守備位置表示が数字からメジャースタイルになった(投手=P、捕手=C、一塁手=1B、左翼手=LF、代打=PH、代走=PRなど)。2つの境目がなくなったことで、例えば選手交代時には守備と選手名の部分が上から下にクルクル回転して変わる、などのさまざまな映像表現が可能となった。またスペースの都合上チーム名が最上部に表記されず、代わりにメンバーの外側にチーム名が球団のペットマークやイニシャルと共に表示される。10億7000万色の発色が可能となり、日本の野球場では最高レベルの鮮明な画像が見られる。縦組みのメンバー表示は後楽園時代の1987年以来の復活となった。バックネット裏スタンド最上部のオーロラビジョンもバックスクリーンと同じに尺度のスクリーンになった(スコア+打者の個人成績/リプレー映像/来場者映像の表示のみ)。
2006年から、バリアフリー対策の一環で選手名部分の字体が大きくなった(それ以外はこれまで通り)。その影響で一列に入るのが9人までとなった為、DH制の試合時は、チーム名の下に投手名が入っている。
2007年より、スコアボードをより見やすく・わかりやすくするため、守備位置表示がメジャースタイルから日本人になじみのあるアラビア数字に戻り、投球数表示が追加され、オーロラビジョン部分がハイビジョンサイズ(16:9)になる。打率・ホームラン・打点の表示も英語から日本語に。また、緑地のスコアボードだったが、黒に白が基調になり、球速やヒット、エラーなどの記録は黄色で表示される。新・スコアボード
野球の試合で使用する場合、スコアの表示は開設当時は9回まで(10回以後は改めてスコアを消去して1回のところに10回のスコアを入れる)だった。2003年の改修に際して、延長戦の表示について、プロ野球のように延長が12回までしか行われない場合は9回と合計スコア(Rと表示)の間に詰めて表示するようになった。都市対抗野球大会など、延長が13回以降も行われる可能性がある場合は、従来通り9回までのスコアを消去して10回から18回までのスコアを表示する。
[編集] 野球体育博物館
21番ゲート右側に野球体育博物館が併設されている。この施設も後楽園球場から受け継がれたものである。
[編集] 施設概要
[編集] 建物
- 高さ:56.19メートル
- 階数:地上6階/地下2階
- 建築面積:46,755平方メートル
- 容積:1,240,000立方メートル
- エアドーム:28本のワイヤを8.5メートル間隔で縦横に貼り、その間をガラスクロス(織物)の表面をフッ素樹脂でコーティングした素材で貼り合わせてある。素材は耐候性、耐熱性、非粘着性に優れ不燃材料である。内膜は音を吸収する特性もある。耐用年数は20年以上。総重量は400トン。太陽光の約5%を透過する。施工は太陽工業。
- 外膜は厚さ0.8ミリ。アメリカのケミカル・ファブリックス社製品。
- 内膜は厚さ0.35ミリ。中興化成工業社製品。
- エアドームを膨らませておくために気圧を外気圧より0.3%高くする。そのため送風ファンを合計36台設置している。ドア開閉がある場合は10台から18台を稼働させ、ドア閉鎖時は2台で気圧を維持する。
[編集] 落成・供用開始日
- 落成式 1988年3月17日
- 公式戦開始日 同年3月18日
- 一般使用開始日 同年12月24日
[編集] エピソード
- 後楽園競輪場跡地に建てられており、将来の後楽園競輪復活も視野に入れているため、グラウンド地下には一周400メートルのバンク(競走路)が収納されている。なお、年に一度、「自転車フェスティバル」と題して、模擬競輪など競輪・自転車競技に関するイベントが行われている。
- この球場の公式戦ではじめてホームランを打ったのはヤクルトスワローズのダグ・デシンセイである。前述の柿落としのオープン戦も含めると吉村禎章が打っている。初の公式戦勝利投手は尾花高夫、初の公式戦セーブは伊東昭光、初の公式戦敗戦投手は桑田真澄
- フィールドには人工芝を採用している。2002年からは、試合会場としては日本で初めて天然芝に近い性質を持つといわれるハイテク人工芝「フィールドターフ」を導入したものの、イベントなどで踏み荒らされるなど数年で踏み固められてしまったため、2006年に巨人がシーズン当初の好調から故障者が続出し一転して低迷とむしろ逆効果となった。滝鼻卓雄読売ジャイアンツオーナーは低迷の一つとして人工芝を挙げ、東京ドーム側に改善を要望すると、東京ドームではシーズン中の6月にリフレッシュ工事を行い若干の改善が見られた。
2007年3月には最新型人工芝「フィールドターフ」を耐久性、衝撃吸収力が向上した改良型へ総張り替えを実施する。滝鼻オーナーは「ドームの屋根を取って天然芝にしたい」とも語っている(ただし後述のように東京ドームと読売には一切資本関係は無い)。
- 2004年までプロ野球の観客数水増し問題が問題になっていたが、東京ドームも巨人戦を観客の有無に関わらず観客数を55,000人(1988年から1994年までは56,000人と発表)と発表し続けていた。その後2005年からは最大収容人員を小石川消防局に届け出ている定員通り45,600人に改め、また観客の発表も増減通りに行っている。
なお1988年10月7日朝日新聞22面に既に「東京ドームの定員は46,314人、そのうち立ち見2,976人」とあり、その後2005年4月13日の産経新聞に改修を得て現在の数字に落ち着いたとある(ただし最多動員を記録(主催者発表70,000人)した1998年4月4日の新日本プロレス主催のアントニオ猪木引退試合のように、イベントではグラウンド部分をアリーナ席として使用することが多い)。
[編集] 胴上げ
1988年の開場から2005年までの間、東京ドームにおいて巨人の対戦相手が公式戦・日本シリーズを通して巨人の目の前で優勝を決め胴上げをしたということはなかったが、2006年10月10日の読売ジャイアンツ - 中日ドラゴンズ戦で中日が優勝を決め、落合博満監督の胴上げが行われたことでこのジンクスは破れた(巨人の本拠地で最後に胴上げした巨人以外の球団は、後楽園球場時代の1975年、広島東洋カープだった)。東京ドームで胴上げを経験したことがある巨人の監督は現在は藤田元司(1990年)、長嶋茂雄(2000年)の両元監督のみ。日本ハムファイターズは東京ドーム時代は優勝がなかった(しかし2006年のアジアシリーズでは、本拠地としてではないが初めて優勝を決めた。これが日本ハムにとって東京ドームで初優勝となる)。
[編集] 読売との資本関係
東京ドームは、巨人軍の本拠地だけに読売新聞や日テレなどの読売グループの所有物とか読売と資本関係にあると勘違いされることがあるが、意外なことに読売グループとの資本関係はまったくない。
[編集] 球場使用料
東京ドームの球場使用料は他の球場やドームに比べてとても高く、1試合あたり4,000万円である。この高い使用料が日本ハムの札幌移転の理由の1つとなった(札幌ドームの球場使用料は1試合あたり「基本料金800万円+観客が2万人を超えるごとに1人当たり400円追加→最大1600万円強」)。ただ日本ハムは現在も準本拠地として引き続き年間数試合で東京ドームを使用している。
[編集] マスコットキャラクター
日本ハム北海道移転前のマスコットキャラクター・ファイティーは、当初移転とともに役目を終える予定だったが、女性を中心としたファン達の嘆願により、東京ドーム限定のマスコットキャラクターとして2005年まで存続し、2006年以降は重大イベント限定で登場となった(例えばファイターズが優勝したときに登場などが想定される)。なお、日本ハム主催ゲームについては、移転前・北海道移転後も何故か太鼓を使用せず、笛とトランペット、メガホンのみの応援になっている(理由は一説によると、東京ドームオープン時に巨人・日本ハム両応援団は「トランペット持込数増加」と「太鼓持込」のいずれかを選択することになり、巨人応援団は太鼓を、日本ハム応援団はトランペットを選択したと言われる)。
[編集] 野球以外での利用
東京ドームは野球以外にも、新車発表展示会など多目的利用ホールとしても活用されている。また、野球がない日でも東京ドーム外に露店が出ていたり何らかのイベントが行われていることもある。
- 東京ドームでコンサートをする場合、音がかなり篭るために、スピーカーの設置などには気を使わなくてはならない。年々、残響音対策や騒音対策のノウハウが蓄積されてゆき、現在はドーム内全体を黒いカーテンで覆うようにしている(1階席のみ)。
- 最近では2005年にGacktもライブを行っており総制作費5億円をかけて行った。このライブでは開始時に下手からGacktら5人が馬に乗って疾走、ラストでは天井に宙吊りになったGacktが観客の頭上を舞うなど様々な演出を行った(後日Gacktがうたばんに出演した際には中居正広がSMAPも東京ドームでライブを行った際に馬で登場するなどの演出が練られたが実現しなかった事を明かした)
- 東京ドームで初めてコンサートを行ったのはTHE ALFEEである。東京ドームオープニングイベントで各国代表のマーチングバンドと共に柿落としコンサートを行った。この時は外野に卵形の巨大なセットを設置。通常観客を入れる内野もステージとして捉えた演出を行ったので、観客はスタンド席のみだった。流石にドームでの初開催のだったので音が反射してしまいワンテンポ遅れて音が響いていた。
同年のミック・ジャガー・ソロコンサートからは、バックステージ(外野壁沿い)に残響音対策に黒いカーテンを吊していた。 - 1992年には、X JAPANが日本人アーティストとしては史上初の東京ドーム3days公演を成功させている。その後もX JAPANは、毎年東京ドームにて年末コンサートを行い、1997年の解散までのドームコンサートの回数は、通算13回を数える。
- 新日本プロレスが1989年から2006年まで毎年プロレス興行を行っている。1992年からは毎年1月4日に行われるようになり、サイモン猪木社長は全日本プロレスと共同で2007年も1月4日に東京ドーム大会を実施した。
- プロレスリング・ノアが2004年、2005年にプロレス興行を行っている。
- 1988年-1992年と1998年には、アメリカ横断ウルトラクイズの第一次予選にも使用されていた。
- 立正大学が入学試験会場としてグラウンドを使用して話題になったことがあるが、校舎建て替えに伴うものであり、使用には非常に多くの不便が生じたといわれる。
- NBAの公式戦やNFLのプレシーズンマッチも行われた。
- 1999年にコナミが遊☆戯☆王のイベントでドームを使用したが、開催側の不備から大混乱に陥った。[1]
- 1998年から毎年の大晦日にジャニーズカウントダウンライブが行われている。
- 2005年の9月にB'zが東京ドームでサブステージではなく、メインステージをセンターに設置しコンサートを行った。この際の音響は非常に良く、他アーティストでの使用も期待されるが、外野席も開放するため、空席が出来てしまい格好が付かないという理由などから、なかなか実現されていない。
[編集] 最寄駅
[編集] 関連項目
- 東京ドームシティ
- 野球体育博物館
- 読売ジャイアンツ
- 北海道日本ハムファイターズ
- オリックス・バファローズ(親会社オリックスの本社が東京にある関係で2004年以降年間数試合ホームゲームを行っている)
- 後楽園球場
- ビッグエッグターフ
- PRIDE&SPIRIT 日本プロ野球(日本テレビ)
- ラジオ日本ジャイアンツナイター(ラジオ日本)
- 東京ドームでコンサートを行った事のあるミュージシャン一覧
- ドン・チャック物語(同番組に企画・協賛しキャラクターショー開催)
- スーパー戦隊シリーズ(同番組に協賛し、キャラクターショー開催。また未来戦隊タイムレンジャーでは東京ドームの天井が時間移動の出入口になっていて、ここからタイムロボが飛来する)
[編集] 外部リンク
前本拠地: 後楽園球場 1937 - 1987 |
読売ジャイアンツの本拠地 1988 - 現在 |
次本拠地: n/a - |
前本拠地: 後楽園球場 1964 - 1987 |
日本ハムファイターズの本拠地 1988 - 2003 |
次本拠地: 札幌ドーム 2004 - 現在 |
プロ野球を開催するドーム球場 |
出場国 | |
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日本 - キューバ - 韓国 - ドミニカ共和国 - アメリカ合衆国 - メキシコ - プエルトリコ - ベネズエラ 台湾 - 中国 - カナダ - 南アフリカ - オランダ - パナマ - イタリア - オーストラリア |
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開催球場 | |
東京ドーム - チェイス・フィールド - スコッツデール・スタジアム - ヒラム・ビソーン・スタジアム クラッカー・ジャック・スタジアム - エンゼル・スタジアム・オブ・アナハイム - ペトコ・パーク |