本質
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
本質(ほんしつ)(希 ουσια (ousia), 羅 substantia / essentia)とは、あるものがそのものであると云いうるために最低限持たなければいけない性質、もしくはそうした性質からなる理念的な実体をいう。伝統的には、「それは何であるか」という問いに対する答えとして与えられるもの。
それに対して、ものに付け加わったり失われたりして、そのものが、そのものであることには関わらない付帯的な性質を、偶有(性)という。
本質はある存在者を必然的に規定する内実をいう哲学用語であり、中世盛期スコラ学以来、essentia (本質存在)は実存(現実存在 エクシステンティア exsistentia)の対概念とされてきた。この実存はしばしば質料因と同一視され、存在に対して、実質的なもの、可能的なものを指す語として用いられる。
詳しく言えば、アリストテレスのウーシアは「存在するもの」という語構成を持っている語で、「本当に実在するもの」を意味し、彼にとってはまずもってそれはイデアではなく個物であった。そこでさらに、その個物の素材である「質料 ヒュレー」ではなく、その様態としての「形相 エイドス」こそが、ものの真の実在性、実体を担っているという考えから、彼にとってウーシアという言葉は実体という含意と本質としての形相という含意をともに持っていた。
これがラテン語に翻訳されるとき、substantia と essentia という二つの訳語が行われた。substantia は「下に立つもの」で基礎としての実体という観点からの訳語であり、essentia は「あるところのもの」という観点からの訳語であった。アリストテレス的枠組みに立つ限り両者は区別されず訳語の違いにすぎなかったが、中世盛期スコラ学、具体的にはトマス・アクィナス以降、実体 substantia と本質 essentia は区別されるようになった。ただし、このときでも近代哲学とは異なり、本質こそが実在であるという観念論的な枠組みは維持された。存在は、本質として概念的に存在している実体と、本質に現実存在( existentia )がプラスされた、現実的に存在する実体とに区分されたのである。
なお、概念が本質存在する(概念として存在する)ということは、想定可能であり、矛盾を含まないということだが、それはその概念に対応するものが現実存在するということではない。このことは可能や不可能など様相を問題にする場面でとくに問題となり、また現代ではハイデッガーや実存主義によって、存在するということがものの本質や属性に含まれないという点から着目された。
一般的には広義の使われ方として、「見せかけ」や「表面上の事柄」に対する概念としての「正体」や「真髄」など「ものの奥底にある表面的でない、中心的な、本当の性質」の意味で使われる。
関連
![]() |
この「本質」は、哲学に関連した書きかけ項目です。この記事を加筆・訂正して下さる協力者を求めています。(ウィキポータル 哲学) |
カテゴリ: 哲学 | 形而上学 | 哲学関連のスタブ項目