実存主義
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実存主義(じつぞんしゅぎ)とは、人間の実存を哲学の中心におく思想的立場。
あるいは、アリストテレスにおける第二実体 (普遍者)と第一実体 (個物に対応)との区別を継承したものとしての、本質存在(essentia)に対する現実存在(existentia)の優位を説く思想。
1930年代、ドイツのマルティン・ハイデッガーやカール・ヤスパースなどが哲学に持ち込んだ実存(Existenz、元の邦訳は「現実存在」。九鬼周造がそれを短縮して「実存」とした。語源はex-sistere外に立つの意)が、第二次大戦後、フランスに輸入され、サルトルらによって、通俗化、イデオロギー化して広まった思想。、ハイデッガー、ヤスパースらの実存の哲学を主義、主張に変容させたもので、ハイデッガーらは、自分たちと実存主義者とを区別した。
それまでの近代哲学は世界の構成や自我の成り立ちなど形而上的な事柄を熱心に研究したが、現実に生きてここにいる「私」についてはほとんど言及してこなかった。それは個々人が勝手に判断すればよい形而下的な事柄で、哲学という大学問が関知するところではないと考えられていたのである。
しかし第一次世界大戦において、そのような個人を置き去りにした近代思想の惨禍を目の当たりにして、個人を哲学的考察の対象にしようという機運が盛り上がり、ニーチェを先駆者としてハイデガーらによって「実存」の導入が図られ、第二次世界大戦後、世界的に広がりをみせた。
そこにおいては「私」は死を究極点とする様々な事象の関連性の中に浮かび上がる現象として捉えられ、私の生を他者と取り替えることのできない貴重なものとして充実させることこそが、人生の意味であるとされた。そして充実させるためには関連性の中で他者や自分自身を非道具的なものとして尊重することが大事だと説かれた。
その原理から実存主義は社会参加色が強く、60年代の学生運動の思想的バックボーンとなった。また同じく「私」に焦点を当てる芸術や文学、心理療法との相性もよく、とくにロジャースらが始めた心理療法には「今、現にここに存在している私」を問題とする実存主義の強い影響が見られる。
この絶対的な個人偏重(主にサルトルの思想)は70年代に入ると構造主義などから批判を受け、低調になっていくが、実存思想そのものは広く受け入れられた。現に日本のゆとり教育やロハス運動のひとつの源泉は、この「私を大事にする」実存思想にあると考えられる。
実存主義を哲学のみならず、文学、芸術などにも拡大解釈する場合(オットー・フリードリッヒ・ボルノウなど)、パスカルやドストエフスキー等も実存主義者だと解される場合もある。
[編集] 関係する著名人
[編集] 哲学者
[編集] 小説家・劇作家
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