柳亭種彦
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柳亭種彦(りゅうてい たねひこ、天明3年5月12日(1783年6月11日) - 天保13年7月19日(1842年8月24日))は、江戸時代後期の戯作者。旗本の子として江戸に生れ、本名を高屋彦四郎知久という。別号偐紫楼・足薪翁など。
唐衣橘洲(からころもきっしゅう)・烏亭焉馬(うていえんば)に師事して戯作の道に入った。山東京伝に私淑して1807年の「奴の小まん」前編などの読本(よみほん)を数種発表したが、挿絵画家歌川国貞と協力して合巻(ごうかん)の第一人者となった。特に「偐紫田舎源氏」と「邯鄲(かんたん)諸国物語」で好評を得たが、「偐紫田舎源氏」が天保の改革で筆禍を受けそれを気に病んでなくなってしまった。俳句・川柳・狂歌なども詠んだが、近世初期の風俗や言語の考証的な随筆や文学書も残している。
カテゴリ: 人物関連のスタブ項目 | 戯作者 | 1783年生 | 1842年没