棒道
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棒道(ぼうみち)は、武田信玄が作ったとされる軍用道路。甲斐国の北西部(逸見筋、現在の峡北地方の一部)に存在する史跡である。信玄の棒道と呼ばれている。
[編集] 概要
武田信玄が信濃国の攻略のために建設した軍用の道である。別名は大門嶺口(だいもんどうげぐち)とも呼ばれ、現在の長野県茅野市の方面へ最短で至るように作られている。天文17年(1548年)の塩尻峠の合戦において重要な役割を果たしたとされる。
その名前の由来は、荒野にまっすぐ一本の棒のように存在していたので棒道と呼ばれるようになったとされる。
現在、山梨県北杜市(旧北巨摩郡小淵沢町、長坂町)に一部現存しており、その姿を見ることができる。
[編集] 三本の棒道
棒道には「上・中・下」の三本の棒道が通っていたとされているが、現在においても正確な経路は未だはっきりしていない点が多い。人によっては、三本存在してはいなかったという説もある。
棒道の起点は説が多々存在するが、穴山村(現韮崎市の穴山町)か若神子村(現北杜市の須玉町)とする説が根強い。その後、道中に棒道が三本に分かれるとする。
- 上ノ棒道
- 「信玄の棒道」として現存しているのは、この上ノ棒道である。
- 中ノ棒道
- 大八田村から大井ヶ森村(現長坂町)、小淵沢村を経て、信州立沢に至る道であるとされる。
- 下ノ棒道
- 渋沢村より小淵沢村を経て、信州田端(現富士見町)に至る道であるとされる。
中ノ棒道、下ノ棒道は現在確認できないため、その存在に疑問符をつける者もいる。また、逸見路(甲州街道の原路)の事を指しているとする者もいる。
さらには、立沢村は経由地ではなかったという説もあり、棒道については未だ謎に包まれている点が多い。
[編集] 関連項目
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