甲斐国
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甲斐国(かいのくに)は、かつて日本の地方行政区分だった国の一つで、東海道に位置する。現在の山梨県にあたる。甲州(こうしゅう)と呼ぶこともある。延喜式での格は上国、中国。
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[編集] 沿革
7世紀に成立した。内陸国だが東海道に属し、駿河国から甲斐国に通じる支線があった。
[編集] 国府、守護所、一の宮、総社、国分寺
国府ははじめ、現在の笛吹市春日居町の「国府」地区か、国分寺があった笛吹市一宮町の国分付近に置かれたと推定される。一宮町の国分からは国分寺跡が発見されたが、国府の遺跡はみつかっていない。後、和名類聚抄ができた平安時代の国府は現在の笛吹市御坂町にあったとされるが、これも発見されていない。
守護所は未詳だが、鎌倉末期以降は石和にあったと推定される。現在の甲府市が甲斐の政治的中心になったのは、永正16年(1519年)に武田信虎が躑躅ヶ崎館を建造してからである。
国分寺は、僧寺が笛吹市一宮町国分にあり、伽藍跡などは発掘されている。尼寺は笛吹市一宮町東原にあったと考えられている。
延喜式神名帳には大社1座1社・小19座19社の計20座20社が記載されている。唯一の大社は八代郡の「浅間神社」で、名神大社に列している。ただし、この式内浅間神社の比定社は笛吹市一宮町の浅間神社、南都留郡富士河口湖町の浅間神社、西八代郡市川三郷町の一宮浅間神社の3社ある。
一宮は笛吹市一宮町の浅間神社(一宮浅間神社)といわれているが、一宮が浅間神社だと直接示す史料は中世にはなく、南都留郡富士河口湖町河口鎮座の浅間神社或いは西八代郡市川三郷町高田鎮座の一宮浅間神社であると論争されている。初見は1551年の史料になる。二宮は笛吹市御坂町の美和神社で、三宮は甲府市国玉町の玉諸神社、四宮は東山梨郡春日居町の甲斐奈神社である。いずれも、戦国時代に武田氏によって整備されたものである。
総社は、元々は笛吹市一宮町の甲斐奈神社(四宮の甲斐奈神社とは別。ただし、こちらが総社とする説もある)であったが、後に武田氏が創建した甲府市の府中八幡宮にその機能が移された。
[編集] 守護
[編集] 鎌倉幕府
- ?~元徳3年/元弘元年(1331年) - 武田三郎(政義?)
[編集] 室町幕府
- 光明3年/延元元年(1336年)~? - 武田政義
- 観応2年/正平6年(1351年)~延文4年/正平14年(1359年) - 武田信武
- 延文4年/正平14年(1359年)~応安元年/正平23年(1368年) - 武田信成
- 応安6年/文中2年(1373年)~至徳2年/元中2年(1385年) - 武田信春
- ?~応永24年(1417年) - 武田信満
- 応永25年(1418年)~応永26年(1419年) - 武田信元
- 応永30年(1423年)~宝徳2年(1450年) - 武田信重
- 宝徳2年(1450年)~康正元年(1455年) - 武田信守
- 康正元年(1455年)~文正元年(1466年) - 武田信昌
- 明応3年(1494年)~永正4年(1507年) - 武田信縄
- 永正4年(1507年)~天文10年(1541年) - 武田信虎
- 天文10年(1541年)~天正元年(1573年) - 武田晴信(信玄)
[編集] 郡
- 都留郡
- 八代郡
- 山梨郡
- 巨摩郡
[編集] 関連項目
- 令制国一覧
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