森下正明
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森下正明 (もりした まさあき、1913年1月27日 - 1997年2月25日)
日本の生態学者。内田俊郎と共に日本における個体群生態学の建設者。 京都大学名誉教授。
九州大学 助教授在任期間 1953年-1965年
京都大学 教授在任期間 1965年-1976年
大阪市東区東雲町59番地(現:大阪市中央区玉造2丁目)生まれ。 高知高等学校(旧制)卒業。 京都帝国大学(旧制)農学部農林生物学科を1935年(昭和10年)卒業。 京都帝国大学副手、旧制京都府立嵯峨野高等女学校及び京都府立鴨沂高等学校教諭 1953年九州大学理学部生物学科助教授。1965年(昭和40年)京都大学理学部教授。 理学部動物学科生理生態学講座を担当。 理学部附属瀬戸臨海実験所長も兼務する。 退任後に京都大学名誉教授の称号を授与される。
勲三等旭日中綬章授与。
今西錦司と共に京都学派を代表する動物生態学者であり、内田俊郎とともに個体群生態学の発展期に日本の動物個体群生態学を牽引した。ただし内田が室内実験的研究を得意としたのに対して、森下は主として統計学を駆使して野外研究のデータを数理解析する手法によっており、この分野で独創的な貢献をした。
教育者としても大きな足跡を残しており、京都大学と九州大学で育てた弟子の多くが、昭和の後期から平成初期にかけて日本の動物生態学の指導的な地位につくことになる。日本生態学会全国委員・同編集委員・同学会九州地区及び近畿地区会長,個体群生態学会会長を歴任。また京都府文化財専門委員,京都市公害対策審議会委員なども歴任した。
九州大学時代以降は統計生態学の理論研究が主たる業績となったこともあり、個体群生態学の日本の生態学者の多くにとっては数理的な解析を得意とする理論派として記憶されるが、本人はアリの自然史的な研究を生涯愛し、晩年公的な地位を退いてからも、日本蟻類研究会を活動の舞台としてアリの研究を続けた。この方面では日本産のアリのいくつかの新種記載に際して、森下に敬意を表した献名が行われている。
- 京都学派の仲間:上山春平・桑原武生
- 弟子筋にあたる研究者(京都大学):梅棹忠夫(数理生態学・民族学)・河合雅雄(霊長類学)・伊谷純一郎(霊長類学)・吉良竜夫(植物生態学)
- 弟子筋にあたる研究者(九州大学):小野勇一[1](九州大学名誉教授、北九州市立いのちのたび博物館[2]館長、カニと哺乳類の動物生態学)、菊池泰二(九州大学名誉教授、海洋生物の動物生態学)
- 理論生態学の継承者:巌俊一
目次 |
[編集] 主な研究成果
- 個体群生態学における生物の分布様式を示す指数である、森下のIδ指数を考案。
- 群集の類似度を示す指数であるCλを考案。
- ヒメアメンボを素材とした研究で,野外の動物個体群の分散が密度の上昇とともに高まることを初めて実証。
- アリジゴクを材料として,生物の環境に対する反応と個体群密度を一元的に理解し、複雑な環境を生物の密度に換算して評価する画期的な理論「環境密度理論」を構築。
[編集] 主な研究論文
ヒメアメンボの棲息密度と移動-動物集団についての観察と考察-. [森下正明生態学論集第二巻.思索社.1979]
樹上に於けるクロヤマアリと他種の蟻との関係 [森下正明生態学論集第一巻.思索社.1979]
蟻の活動の日周期(I)クロヤマアリの活動 [森下正明生態学論集第一巻.思索社.1979]
蟻の活動の日周期(II)トビイロケアリの活動 [森下正明生態学論集第一巻.思索社.1979]
[編集] 献名を受けたアリ
- キバオレウロコアリ Pyramica morisitai (Ogata & Onoyama, 1998)
- モリシタカギバラアリ Proceratium morisitai Onoyama & Yoshimura, 2002
- ハリアリ亜科の中で腹部が腹方に著しく湾曲するカギバラアリ属の希種で、本州、四国、壱岐に分布。
- モリシタケアリ Lasius (Dendrolasius) capitatus (Kusnetzov-Ugamsky, 1928)
- ヤマアリ亜科ケアリ属に属するクロクサアリに縁の近い希種で、本州の中央部に分布。本種は学名にも献名されてLasius (Dendrolasius) morisitai Yamauchi, 1979とされていたが、丸山宗利の研究により近縁種のフシボソクサアリに当てられていた学名の原記載が本種のものであることが判明し、2005年にシノニムとして整理された。
[編集] エピソード
京都大学系の知識人に多いことであるが、森下も外国語による論文などの名前の表記は本人のこだわりから、英語を下敷きとしたヘボン式系のローマ字表記ではなく、訓令式系のローマ字で、MORISITAとしていた。前項にの献名を受けたアリの英文名もshiでなくsiである。パスポート取得の際、本人曰く「僕はいつもMorisitaで公式にも通っているんだがねェ」と語っていたが旅券法上やむおえずMORISHITAにした。 「なぜ在任期間が短いのに名誉教授の称号が授与されたのか」の質問に対し森下の公式と呼ばれる公式を確立したからと話していた。本人はIδ指数のことを通称で森下の公式と語っていた。 九州大学近くの海岸にはIδ指数の考案の元となった2本の松が今でも存在する。
父の仕事の関係で高等学校時代を高知市で過ごす。本人は高知県には地縁があるが大阪出身と語っていた。
京都の生態学といえば今西錦司を無視できないが、森下の業績には直接にはその影響が見て取れにくく、むしろ正当な個体群生態学の流れにあると見なされがちである。しかし、彼はその初期の活動を今西と共に歩んでおり、第二次大戦前には国外への探検行にも同行している。この様子は日本経済新聞の私の履歴書でも掲載された。また、『動物の社会』では、その冒頭にかなりの項を裂いて今西の種社会論を解説している。