横田喜三郎
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横田喜三郎(よこた きさぶろう、1896年(明治29年)8月6日-1993年(平成5年)2月17日)は、愛知県出身の国際法学者。第3代最高裁判所長官。法学博士。かつてはマルクス主義の読書会に参加するなどリベラルな法学者として知られ、軍部に睨まれたこともあった。東京裁判の法的な不備を認めながらも、裁判自体については肯定的評価を与えていた。晩年は、保守的な思考を強めたことでも知られる。
[編集] 略歴
- 1896年(明治29年)愛知県の呉服商兼農業の家庭の三男として生まれる。高等小学校卒業後、家の仕事をしながら独学で勉強し、名古屋中学3年に編入。
- 第八高等学校卒業
- 東京大学法学部政治学科入学
- 同学部法律学科卒業
- 同法学部助手(国際法の立作太郎が指導教官)
- 1924年(大正13年) 東京大学助教授に就任。
- 1930年(昭和5年) 東京大学教授に就任。ロンドン海軍軍縮会議の日本政府代表団随員として若槻礼次郎首席全権を補佐。
- 1960年(昭和35年)10月25日 第3代最高裁判所長官に就任。
- 1965年(昭和40年)11月3日 勲一等旭日大綬章受章。
- 1966年(昭和41年)8月6日 最高裁判所長官を退任。
- 1993年(平成5年) 逝去。叙・従二位
[編集] 参考文献
- 山本祐司『最高裁物語(上・下)』(日本評論社、1994年)(講談社+α文庫、1997年)