檜ヶ山城
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檜ヶ山 | |
通称 | |
城郭構造 |
連郭式山城 |
天守構造 |
なし |
築城主 |
東郷忠光か |
築城年 |
大永年間か |
主な改修者 |
東郷忠光、多久義敷、毛利氏 |
主な城主 |
東郷忠光、多久義敷、毛利氏 |
廃城年 |
不明 |
遺構 |
土塁、堀、井戸跡 |
位置 |
[編集] 概要
檜ヶ山富士とも呼ばれるたおやかな山容の檜ヶ山山頂に築かれた山城で、古くは大永年間に東郷忠光が拠ったと伝わる。
1562年の毛利氏侵攻時には毛利方に攻められ、多久義敷率いる城方は良く守り一度は防いだものの善戦虚しく落城した。
元亀年間の尼子氏残党の蜂起に際しては、毛利氏が改修し在城した。